チェコ プラハとチェスキー・クルムロフ
目次
ドーハ経由でプラハ
カタール航空のドーハ経由便でプラハへ向かいました。今回の目的地はチェコのプラハ。
プラハは24年ぶりの訪問です。高齢の母がプラハに行きたい、というもので、長男にカバン持ちをさせて、わたしがツアーガイドを務めました。
カレル橋は浅草仲見世のような賑やかさ
24年前は、ビロード革命の十年後。自由化直後でまだ街中が工事だらけでした。
今回久しぶりに訪れてみれば、建物も道も何もかもが、綺麗に塗り替えられた印象です。
その頃の東欧諸国は、チェコに限らず、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、どこへ行っても石炭の煙で煤けた街が広がっていました。
良く言えばモノトーンのまち、と言えるかと思いますが、そのことばの響きからくる美しさからは無縁の、薄暗い煤けた街でした。
今ではプラハのシンボルとなっているカレル橋。当時は閑散として、夜、暗くなった橋の上を歩いているのは、わたしたちだけ。
聖人の像が、ガス灯の灯りでぼんやりと、幻想的に浮かび上がっていました。
その頃のカレル橋は、カフカの世界そのもの。こんなところにいたら、朝起きて虫になってしまう気分になるのも仕方がない。そんな陰気さが漂っていました。
しかし、今ではどうでしょう、同じ場所とは思えません。カレル橋の上の聖人の像の下には、露天商が店を並べ、大道芸人たちがうまくもない演奏を楽しそうに奏でています。
プラハはモーツアルトの交響曲「プラハ」K.504のような街
モーツアルトの交響曲プラハK504は、全体の曲調はモーツアルトらしい明るさで、私が初めて訪れた時のプラハの印象とは大変かけ離れています。共産党政権時代のプラハの街の印象は仮の姿で、今のプラハこそが、モーツアルトの滞在していた頃のプラハそのものなのかもしれません。
でも、モーツアルトのプラハも、出だしはアダージョで始まり、少し陰気さが残るところもあり、その後段々と春の足音が聞こえてくるような感じで、モーツアルトの陽気さが前面に出てくるのは、曲の出だしから少し過ぎたころ。そうした意味では、私のプラハの印象も、モーツアルトの描いたプラハとそう違っていないのかもしれません。
共産党が支配する国々には、広告がありませんでした。
広告のない世界が想像できるでしょうか。アップルやグーグルやソニーやパナソニックの広告の代わりに共産党のスローガンが並ぶのです。
今でも時々北朝鮮のニュース映像を見ていると、当時と変わらない風景をそこに見ることができます。
プラハでも、政治的スローガンがアップルやグーグルやソニーやパナソニックの広告の代わりを務めていましたが、いまではEU諸国と変わらない風景です。
もっとも行き過ぎた資本主義のいやらしさを突きつけられるところもあり、ありとあらゆる教会が、クラシックコンサートの会場となっています。
プログラムを見てみれば、クラシックの中でもポピュラーな演目を並べただけ。多くの教会がクラシックの演奏会会場となってはいるものの、その演目は明らかに観光客目当て。
カレル橋の上のバイオリン弾きの演奏レベルが、私とたいして変わらないのを聴くと、教会のコンサートもそのレベルのような気がして、どうにも足が向きません。
しかし、母はコンサートへ連れていけといいます。国立劇場でモーツアルトのオペラ、ドン・ジョバンニがあるのを見つけましたが、その時間帯はもう飛行機が飛び立つ時間。
演奏家も仕事が必要なので、観光客目当てで教会でコンサートを開くのでしょう。これは共産党から公的支援が受けられなくなった負の側面なのかもしれません。
自力で稼ぐ。教会さえも自力で稼ぐ。24年の時を経て、確かに、チェコは資本主義の国に生まれ変わったようです。
チェスキー・クルムロフまでバス旅行
世界文化遺産の街、チェスキー・クルムロフへ行くことを決めたのは、プラハに着いたあとでした。
プラハに5日間滞在するフリーツアーだったので、滞在中はすべて自由行動。母がチェコのきれいな郊外の街へ行きたいというので、日帰りでチェスキー・クルムロフへ行くことにしました。
本当は、「世界で一番美しい街」なので、世界文化遺産の街中で一泊したいところですが、母と荷物を引きずって一泊だけするのも大変。ホテルの宿泊が全てついているツアーなので、別に宿泊代を支払うのももったいない。
また、十分日帰りで行ける場所のようです。ネットで調べてみると、プラハで宿泊中のホテルからそう遠くない場所にバスターミナルがあり、そこから直行バスが一時間おきに出ていることがわかりました。
24年前なら前日に予約して日帰りで帰ってくるなんてことは考えられなかったところですが、ネットのおかげで簡単にバスの席も予約できます。バス会社の予約サイトで、最前列に一席、後部に二席予約できました。
母は英語がほとんど話せないので、困ったことがあれば、スマホのラインで連絡するように言い聞かせて、長男と私はバスの後部座席へ。バスの中だと日本から持っていったワイファイが三人共つながるので、母になにかあっても直ぐに連絡が取れます。
プラハの街を出るとすぐに田園風景が広がります。プラハは日本の大都市とは比較にならないほど豊かな自然環境に囲まれています。街から三十分も走れば北海道のような広大な田園風景が広がります。
欧州の要でもあるプラハ
しかし、チェコはただの田舎町の集合体ということではありません。私が勤めていたことのあるドイツの保険会社の東ヨーロッパのヘッドオフィスはプラハの郊外、空港近くにあります。
欧州全体のコールをプラハで受けて、電話対応を行っています。日本では国内で分散して事業が継続できるようにするのでしょうが、プラハでは、フランスやドイツなど、欧州の他地域からのコールをプラハに集めています。
英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語など、外国語を駆使できる人材がチェコには多くいて、にもかかわらず、東欧にあるため人件費は西欧よりは安い。ドイツまでもそう遠くない。そんなところが、センターに選ばれる背景にあると思います。
文化的な背景が大きく異なるので、比較すること自体が無意味なことですが、日本語しか使えない人がほとんどの日本では、ダイバーシティー(多様性)を確保することは大変難しいことと思います。
世界で一番美しい街 チェスキー・クルムロフ
「世界で一番美しい街」と、あまりにも強調されすぎると、「いえいえ、日本の白川郷や上高地、京都にも美しいところはありますよ」と言いたくなります。
しかし、それでも確かに、チェスキー・クルムロフは美しい。
思いっきりS字型に蛇行するブルタバ川。その川は深く刻まれて、その一方の丘の上には、お城。そしてそのもう一方の弧の内側には町。
丘の上に立つお城の先には、伸びやかに広がる青い空の下、チェコの広い田園が広がり、お城の先には刈り込んだ幾何学模様の庭園が広がっています。
その穏やかな大地が突然川に向かって落ち込みます。全く異なる性格の二つの風景の境界を川が流れ世界一美しい街をかたち作っています。
青空が滝のように川へ向かって流れ落ちていく。たしかにこれは美しい。町の人が「世界で一番美しい」と、自慢したくなる気持ちがわかります。
訪れる季節は、春が良いでしょう。ジューンブライドの6月が、最高のシーズンでしょう。お城の庭に建つ瀟洒な館で、高校の卒業を祝うパーティーが開催されていました。
観光客の皆さんは、お城の中程から、再び町の方へ戻ってしまうのですが、ぜひお城の先に広がる田園風景を堪能してください。
広大な田園が谷間に落ち込むあのダイナミックな風景を感じることなく、帰ってしまうのはとても惜しい。
再びプラハ そしてドーハへ
歳をとるとは哀しいもので、かつてのようなワクワクした高揚感がなぜか起きない。プラハへの訪問は、未知ではなく既知だからでしょうか。
でも、ドーハの空の下に広がる地球の形そのままの弧を描いた地平線。砂煙りで空を霞んで見せる砂漠は、そんな高揚感を少し思い出させてくれました。まだ、未知に対して向かう気持ちがあることが確認できました。
家族と一緒だと、どうしても添乗員になってしまいます。旅行かもしれないけれど、旅ではない。旅は一人でいる時間が長いから、いろいろと考えます。
そこで、家族のことも考えたりもするのですが。どちらが良いとはいえないけれど、それぞれ大事かなと思いました。
昔は旅しか認めていなかったけれど、50年も生きていると、人も経験を重ね、いろいろと考え方がかわるものです。
プラハも随分と変わりましたが、私もすっかり違う人のように変わりました。
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