東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道を歩いてわかった一里が四キロなわけ

東海道を歩いて、その後、中山道を歩いて、もうすぐ京都に到着します。かれこれ1000キロくらい歩いていることになりますが、最近ようやくわかってきたこと。一里が四キロであることにはわけがある、ということ。

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人が普通に歩くと、だいたい時速4キロくらい。つまり、昔の距離の単位で言うと、一里を歩くことになります。

時計のない時代、一日にどれくらい歩くことができるか、と考えた時に、十里であれば、10時間。朝の6時頃から歩き始めて、ノンストップで、16時頃まで歩くということになります。

昔の人は一日十里くらいは歩いたようで、これはとても合理的な距離で、朝少し明るくなり始めた頃から歩き始めて、暗くなる前に宿に入る、とすれば、一日で十里くらいがちょうどいい、ということになります。

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実際のところ、歩く速度は人によって変わるとは思いますが、私の場合、早くて時速6キロ。疲れてくると時速5キロを切るようになって、時々休憩を取るようになり、まる一日通して歩くと、結局のところちょうど時速4キロくらいに収まります。

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時計のない時代に、この一里を歩く速度というのは、人の行動に時計の役割を与えていたと、今では考えるようになりました。

いまを生きる私たちは、時計で常に時間を気にしているし、また、街のいたるところに時計があります。

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でも、日時計やら、鐘の音で時を知る時代には、どれくらいの時間が経過したかを知る上で、鐘がなってから一里歩いたから、あれから1時間たったなと、考えていたと思うのです。

この歩行距離というものは、恐ろしいほど正確なので、時計が普及する前の時代を生きた人たちは、みな、体でその時間感覚と距離感を文字通り身につけていたと思うのです。

あまり聞くことのない意見だと思いますので、メモがわりに書いておきます。