中山道一人歩き 2日目 浦和宿、大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿、熊谷宿

浦和宿

東北本線浦和駅からすぐのところを中山道は走っている。いや、中山道沿いに鉄道が敷かれたと考えるのが自然だろう。でも、いまや鉄道が主役だ。

浦和駅からほど近い地点から、朝七時に再び歩き出す。

浦和レッズの応援ポスターグッズが街に溢れている。中山道沿いの街灯には、レッズを応援する旗がはためいている。

浦和の駅前の直前まで歩道もなかった中山道だが、浦和駅前あたりから再び立派な歩道が整備されている。とても歩きやすい。

浦和駅からしばらく歩くと東北本線を越えて線路の東側に抜ける。そのまま一直線に道は北へと向かう。

さいたま新都心駅に直結する巨大なショッピングセンターが見えてきた。

浦和と大宮のライバル関係がよく言われる。浦和はもともと県庁所在地で埼玉県の中心都市のイメージがあった。

ところが、大宮の存在感はいまや浦和の比ではない。

巨大なアリーナのみならず、ビルや建造物が駅の周りにそびえ立つ。

大宮宿

大宮は新幹線停車駅だ。新幹線の駅もない浦和駅に比べると、その規模は比較にならない。

さいたま新都心駅を過ぎてすぐに氷川神社の鳥居が見えてきた。なんでも氷川神社の参道が昔は中山道だったらしい。鳥居の前で記念に写真を撮り、次へと進む。

大宮から先も中山道には歩道があった。安全に歩くことができる。でも、そこが古から続く中山道であることを感じる機会はとても少ない。

上尾宿

ところが、大宮を越えて、上尾市に入って、ようやく中山道の案内板が見えてきた。

江戸から歩き始めると、上尾でおよそ十里。約四十キロ歩いて上尾宿に泊まる、というのが標準的なスケジュールだったようだ。

そろそろこの辺で、東京都市圏も終わりが来たことを実感する。つまり、埼玉都民の暮らす、東京経済圏の北の果ては上尾辺りということが言える。

桶川宿

桶川に入ると、急に中山道感が強くなる。それは中山道ふれあい館があることからわかる。

東海道には宿場ごとにこのようなゲストを迎える施設がある。

しかし、中山道を、埼玉県は観光資源とも思っていないらしく、取ってつけたように、「中山道」と掘った石を立てる。

鴻巣宿

でも写真に撮るとよく見えない。全くインスタ映えしない。

鴻巣宿はひな人形が有名であるようだ。街灯に雛人形の旗が揺れている。

道は特に変わり映えもせず、ただただ真っ直ぐに北へとのびる

吹上の宿

徐々に高い建物がなくなり、鴻巣を過ぎてしばらくすると脇道に逸れて、住宅街を歩くようになる。そして、吹上駅付近で突然左手に折れる。

鴻巣と熊谷の間が十六キロほど離れているため、吹上は間の宿として賑わったそうだ。

吹上からさらに細い道へ入り、JR高崎線にぶつかる。

ここを乗り越えて真っ直ぐに進むと、やがて荒川の土手に出た。

休日に時々荒川の土手を自転車で走るが、流石にここまで走ってきたことはない。

土手に立つ標識には、河口から七十キロとある。浦和からだと三十数キロだ。

大宮あたりまでは自転車で来たことがある。その先もかなり立派なサイクリング道路があることがわかった。また機会を見て走りに来てみよう。

この日、荒川の土手は風が強く、なかなか前に進めない。

久しぶりに長距離を歩いたので、体のそこかしこが活性化しつつも悲鳴をあげている。

一度土手から降りてまた上る。そしてまた下る。

熊谷宿

もうあとはひたすら駅を目指して歩くだけ。

今日の目的地は熊谷駅。

次は高崎までを歩いてみようかと思う。

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