ワールドカップが終わり、四半世紀前のJリーグ創設を振り返る
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日本代表ベスト16
フランスが優勝して、ワールドカップが閉幕した。日本がベスト十六にまで勝ち上がり、毎晩テレビの前に釘付けになった。前評判はとても悪く、直前に監督が変わったこともあり、あまり期待もしていなかった。おまけに、対戦相手がどこも格上ばかりのチーム。全戦全敗になるのではないかとさえ思っていた。しかし、結果は素晴らしいものだった。ほとんどの人が無理と考えていた予選突破。そして予想もしていなかった、ベスト十六。想像以上の結果をもたらした。
日本代表チームは、今では当たり前のようにワールドカップに出場しているが、四半世紀前には、プロサッカーリーグ自体が日本に存在していなかった。生まれたときからプロサッカーリーグのあった世代の選手が中心となっている中で、少しだけ当時の状況を思い出してみたいと思う。
毎晩プロ野球の中継があった時代
その頃、私はまだ二十代で、新しい衛星放送局の番組制作担当者として働いていた。衛星放送といえば、日本放送協会とWOWOWしかない時代だ。まだ、インターネットが普及する前の時代で、次の時代のメディアとして、総合商社各社が新しい衛星放送局を始めようとしていた。
ちょうど同じ頃、プロサッカーリーグ設立の話が浮上していた。日本のプロスポーツと言えば、野球、ゴルフ、競輪以外には、ほとんど思い浮かばない頃のお話だ。日本テレビの午後七時から午後九時はたいていの場合、ジャイアンツの試合が放送されていた。
プロサッカーリーグを設立すると言っても、Jリーグに対して協力的なテレビ局は一社もなかった。確実に視聴率の取れるジャイアンツの放映権が欲しいということもあり、読売グループに背を向けて、進んでサッカーの試合を放送するキー局はなかった。
Jリーグと似た立場にあったのが、商社系の衛星放送局だ。放送するコンテンツを集めようにも、めぼしいものは大手のキー局がその資金力で根こそぎ買い込んでいく。海外の放送局から購入した放送権のあるもので番組編成枠を埋めながら、目玉となる番組を時々流す、ということが、中心だった。このスタイルは、四半世紀後の今でも続いている。
博報堂と伊藤忠で始めたJリーグ中継
Jリーグは初め電通に協力を依頼したが、キー局の広告枠を広く押さえていた電通は、これを一蹴した。代わりに受けたのが、博報堂だ。関係者会議で「今に見ていろよ」と誓いあったものだ。なので、日本代表の試合が、全番組の視聴率の中でトップになると、本当に嬉しい。一方、巨人戦も含めて、プロ野球の試合は、ついに地上波では、どの局も放送しなくなってしまった。これはこれで寂しいことだが。
このようにして、紆余曲折はあったが、Jリーグ、博報堂、CS放送の協力体制が決まり、開幕に向けての準備が進んだ。
私のいた局は、伊藤忠商事の衛星を使用しており、社長も伊藤忠からの出向者だった。しかし、番組の製作者は、NHK出身者で固められていた。日本放送協会は公益法人ではあるが、当時から経営の多角化に乗り出していた。株式会社を設立して、番組制作会社を設立したり、有力なコンテンツの二次利用ができる、他チャンネル放送の機会を自ら探し、創出していた。
実際、総合商社にいた人が、すぐに番組を作ることができるかと言えば、それは無理な話なので、番組制作面に関しては、完全にNHKの関連会社のような存在だった。
読売の撤退
Jリーグは九十三年に開幕した。私のいた局は開幕全試合を放送した。初戦は国立競技場で読売ヴェルディ対日産マリノス。Jリーグは地域に根ざしたスポーツクラブとして発展することを目指していたため、各本拠地の地名をチーム名につけることを求めていた。しかし、開幕直後はそのようなわけには行かなかった。まだ、Jリーグの力よりもスポンサーの力のほうが強かった。スポンサーと言っても、内実は読売グループということになる。それにしても、当時の読売グループ代表が、今もその地位にいる、ということには驚く。朝日新聞社も日本経済新聞社もデジタルコンテンツの分野へ着々と進出を始めているが、読売新聞社は未だに輪転機にこだわり続けているらしい。
共有できた理念
チェアマンとしてJリーグ設立をリードした川淵さんの掲げた理想は、関係者を一つにした。
「日本各地に芝のグラウンドを作り、地域の子供からお年寄りまで、サッカーに限らず、みなが集うことのできるクラブを作りたい」
関係者はその言葉に触れ、身震いしたものだ。その理想を実現するために、今もJリーグは日本各地にチームを増やし続けている。その結果が、ワールドカップの結果であって、その結果のために、Jリーグがあるのではないと、その設立の経緯からそう思う。皆さんにもぜひその事は知っていただきたい。
いつの日か、日本中に芝のグラウンドが行き渡ったとき、日本代表がワールドカップで優勝するのではないかと、私は密やかに期待している。