中山道一人歩き 7日目 和田宿 和田峠 下諏訪宿

長久保宿から

いよいよ中山道最大の難所である和田峠。難所と言っても、富士山や八ヶ岳のような山を登るのとは違い、あくまでも峠道。かつては交通網として人が往来した幹線道路。

とは言え、和田峠の標高は千五百メートル以上。ちょっとした山よりも高い位置にある。天候の悪いときには、危険な峠にもなったことだろう。

前日長久保宿からバスで一時間かけて、上田駅まで出て宿泊した。

本当は長久保の宿付近に泊まれば良いが、荷物の量を極限にまで減らしているため、ビジネスホテルに泊まらないと、洗濯ができず、着る服がない。

東海道を歩いたときには、着替えの服を三日分と予備のバッテリーやガイドブックなどを持ち歩いていたので、結局背負う荷物の重さが十キロ近くになった。

そのせいもあって腰を痛めたことから、碓氷峠手前までは傘とスマホ用の予備バッテリーのみ。碓氷峠から下諏訪までは、これに加えて一日分の服だけを持ってきた。合計わずか二キロ。

江戸時代の旅人は、着の身着のままで旅をしていたようなので、スタイルとしては同じ。

寝巻きなども持ち歩かない。ビジネスホテルなら浴衣が置いてある。

シャツ、下着、靴下、ズボンを手洗いして翌朝までに乾かす。従って、エアコンとドライヤーが必需品。そうなると、旅館や民宿のような宿だと、対応できない。

このようにして、宿場町にある宿は衰退する。結局利便性には勝てない。また、その利便性を追求しようにも、それだけのマーケットがない。

一方、民泊でこのあたりのニーズを補うことができたように思うのだが、何故か新しいことに拒絶反応を示す宿泊業者は国を挙げて大反対。

長久保宿に一泊だけ泊まれるワンルームマンションがあれば、毎日洗濯をしながら旅をしたい私のような人にはぴったり。

東海道五十三次と中山道六十九次にこのような民泊のチェーンを作れば、もっと歩き旅もしやすくなる。

現在の需要を食われてしまうことを恐れて、新しい需要を掘り起こすことを考えない。とりあえず試してみることを考えずに、想定外のことが起きることを恐れて制限する。

和田宿

長久保宿からしばらくの間は民家の合間を歩くが、やがて幹線道路へと出る。

長野県内は歩道に余裕があるので、安心して歩くことができる。

旧中山道をうまく外すようにバイパスが延びているので、歩く脇を車がすり抜けるということもない。長久保の宿を抜けると、やがて並行して流れる川が二手に分かれ、中山道はその右手に延びていく。

左手の川沿いに進むと、白樺湖の方へ抜ける道となる。この辺り、何十回と車で通り抜けた道のりだ。

分岐の先から右手に折れ、しばらくすると和田宿の入口となる。

和田宿と大きく書かれてはいるが、ここから本陣などがある中心部までは、かなりの距離がある。小一時間はかかるだろう。

和田宿についたと思っても、なかなか本陣の表示が見えてこないので、どうなっているのかと心配になった頃、一時間ほどしてようやく宿場の中心部に到達する。

この間、一般車両はバイパスを走るので、安全に歩くことができる。

あの雲は 稲妻を待つ たよりかな

芭蕉の句碑が建つ、その空にはどんよりとしたカミナリを連想させる雲。

今日は午後から長野県全域でカミナリ注意報が出ている。峠越えの手前でカミナリ雲はちょっと気になる。

石器資料館

一時間ほどして和田宿の中心部についてみれば、なんだか見覚えのある建物が見えてきた。

石器資料館だ。

和田峠で採掘された黒曜石が縄文時代から、日本全国に行き渡り、使われていたという話を聞き、子どもたちを連れて和田峠まで探しにきたことがある。そのときに、この石器資料館に立ち寄ったのだ。

実際そのときにも、和田峠付近の林道の奥へ行ってみると、路肩で黒曜石をいくつも拾うことができた。

その帰り道にこの石器資料館へ寄ったのだ。

その頃はまだ街道歩きにも関心がなく、ここが和田宿か、くらいの軽い気分でいた。

ところが、その十数年後に日本橋からここまで歩いてくることになるのだから不思議なものだ。

好きなことを仕事にしなさいといった話を、最近やたらと耳にする。

しかし、様々な経験を積み重ねるうちに好きなことは変わっていく。生理的に受け付けないことでなければ、とりあえず何でも試しておいたほうが良いと、五十を過ぎて思う。

ちょっと黒曜石に興味が湧いて、足を運んだことが、十数年後に中山道歩きと重なる場合もある。中山道を流通ルートとして、全国に広がっていった様子が、街道の隅々にまで思いが広がり、想像できるようになる。

経験の引き出しが、他の引き出しと組み合わさって、より大きな想像へと広がっていく。

和田峠

宿が終わると、しばらく国道沿いに歩く。歩道が整備されているので恐怖はない。この辺り、車は百キロ近い速度で走っているので、歩道がないと怖くて歩けない。

街道を歩いていると、時々歩道がない場所がある。そのようなときは、対向車が見える側を歩くと良い。

さらに可能であれば、上り側の側道を歩くのが良い。

正面から車が来れば、相手が自分を認識しているかがわかる。いざとなれば避けることができる。しかし、これが背後からだと、運任せになる。後ろから迫る相手が自分を認識しているか不安になる。最後の最後まで気が抜けない。

上り側を歩くほうが良いのは、下りだと重力の影響で加速して、ブレーキが利かない可能性があるからだ。上りであれば、下りよりも重力がかかる分、ブレーキを踏んでから止まるまでの距離が短い。当然、轢かれる危険性も低くなる。

優先すべきは相手を見ることだろう。自分で見て、危険を察知して逃げることのほうが、相手が気がついてブレーキを踏んで助かる時の危機よりも、他人任せではないので良い。

歩道があれば、あまり深く考えることもない。とりあえず歩道と車道の境界に置かれたブロックが第一撃を回避してくれる。そして車道から少し離れたところを歩く。

通り過ぎる大型トラックの風圧を、背中や後頭部に時折感じながら、そのようなことを考えていると、和田峠への登り口が見えてきた。

和田峠は車だとトンネルを通るが、旧中山道の和田峠は、山道を歩いて登ることになる。

江戸方の和田峠の上りは快適な山道だ。

軽自動車が一台通れそうな幅で、草が刈ってある。道順も間違えようがないほど、案内の標識が曲がり角の都度、進むべき方角を指し示してくれている。

車が通る国道は、蛇行しながら峠へと向かっているが、歩き道はその中を一直線に進みながら、ときおり蛇行し、時々国道と交差する。

国道を歩いてもよいが、歩道はないし、旧中山道のほうが歩きやすい。蛇行していない分、距離も短い。

雨が降れば山道は避けて国道を歩くしかないかとは思うが、雨の和田峠を越えようとする人も、そう多くはいないだろう。

最初の国道との交差地点にあるのが接待茶屋。わらぶき屋根の建物が復元されている。

このすぐ前に水飲み場がある。この先自動販売機はない。途中で水を飲む事ができる場所もないので、ここで水を補給をしておくと良い。

いつの間にやらカミナリ雲も消えていた。照りつける太陽の下、冷えた自然水は喉元を冷やし、身体の隅々にまで染み渡る。

持っていたバンダナを水に浸し、顔や腕を何度も拭って冷やした。ここは和田峠のオアシスだ。

ちょっと国道を歩いたあと、再び山道へと入っていく。

快適な道が続いてきたが、一部荒れ果てた石畳がお目見えする。

箱根も同じだが、石畳は歩きやすいように並べ直さないようだ。

石畳は時とともに荒れてしまうものだと思うので、それを適時修繕していかないと、後世の人達が石畳はこのようにボコボコの石が並んだものだと勘違いしてしまう。

かつて、このように荒れていたわけがないのだ。

並べ直すのは大変だろう。しかし、東海道の金谷の人たちはその石畳を見事に復元しメンテナンスしている。

全国の役所の担当者は、金谷の石畳を見学に行くべきだ。あるべき姿がそこにある。

その石畳で捻挫しそうになりながらも、坂道をよじ上っていくと、きれいな形の一里塚が見えてきた。

まんまるの一里塚の形がそこに残されている。当時のものか、整備されたのかはわからない。

しかし、いずれにせよ、一里塚をきれいに復元出来るのであれば、その直前の石畳もきれいに治すべきだ。

一里塚の先にキャンプ場があり、そこを過ぎると再び国道を歩く。

崩れかけた東餅屋跡にあるドライブイン。

ビーナスラインから下りてきたところにあるので、存在は知っていたが、いつから営業をやめたのだろう。

いまでは崩れかけて窓などが破壊されている。

ここからすぐ上ったところがビーナスラインの合流地点になるのだが、旧中山道はそのビーナスラインへ向かう道をくぐりながら上っていく。

最後、ビーナスラインを越えて再び山道へ入ると、いよいよ和田峠への一本道となる。

草をきれいに刈りそろえた道をまっすぐに上っていく。

視線の先に和田峠の先に広がる青空が見えている。

峠の頂上は、標高千五百三十一メートル。視界は開けており、御嶽山が見えるそうだが、よく確認しなかった。雲は切れていたので、この目で見たはずだが、どれが御嶽山であったかを確認しそびれた。

御嶽山坐王大権現と書かれた石碑の脇に座り、しばし休憩。

峠の風は心地よい。

この近くの山中を通る、新和田トンネルや和田峠トンネルは何度も車で通っている。しかし、古の古道を歩くことは、車の移動とはまるで異なる趣がある。

和田峠であれば、車で東京から日帰りで来ることも出来る。

今までもビーナスラインを何度もドライブしている。

高原地帯を車で走り抜ける喜びはあるが、歩いて到達したときの喜びはまた、別のところにある。

同じルートを通るにしても、その手段によって得るものは大きく変わる。

若いときはとかく前のめりになって先を急ぐ事が多い。しかし、歳を重ねると時が貴重となり、その時、その時をじっくりと味わうようになる。

歩いていると速度が遅い分、細部にまで目が行き届く。仕事を丁寧に行う場合と、ささっと済ませてしまう場合との違いにも似ている。

人は生まれていずれ死ぬ。ゴールは決まっている。

行く道は様々だが、その道中をあまりに急いで、見落としてばかりいる人生ではつまらない。

早い乗物が好きだった私がこんなことを述べるようになったのも、時の重さを感じられる年齢になったからだろう。

和田峠京方下り

長久保宿から延々と上り続けた道も和田峠を境に下り坂へと変わる。

上りのほうが大変かと思えば、下り道は膝や腰にゴンゴンと衝撃を与えてくれる。

半日かけて上ってきた数百メートルを今度は下る。体力も人生も四十代後半くらいから、このような下り道となる。

江戸方と比べて京方の道は荒れている。荒れていると言うよりは、険しい山道のため、整備が追いつかないのだろう。

壊れた道を直した痕跡がそこかしこに残る。

山道の行き先を示す標識の数も心なしか多い。

江戸方の上りは、車でも通れそうな道幅で続いているところがほとんどだが、京方の下りはこんなところで、籠を担いで上れたとは思えない、急峻な山道が続いている。

当時は当然のことながら、もっと幅広く整備がされていたに違いない。

和田峠の直下にある石小屋は五十五メートルにも及んだらしい。

そのときに使われていたであろう石が下り坂のいたるところで、かなりの広範囲に散逸していた。

現在の山道であれば、人一人通るのが精一杯の道幅で、すれ違うことはもちろんのこと、馬などがとても通れるような状態ではない。

石小屋で馬が何頭も休んだということであれば、当時はそれなりの道幅で整備されていたに違いない。

石小屋から流出したと思われる石が見られなくなった頃、ようやく中山道は江戸方のような落ち着きを見せる。再び歩きやすい道が、木立の中を真っ直ぐに伸びている。

恐怖の国道歩き

しかし、その後、国道を歩くことになるのだが、ここで中山道の道中、一番の恐怖を感じることとなった。

今までであれば、一度国道に出ても、しばらくすれば、再び整備された山道へと入っていくはずだった。

ところがここから先はその山道がない。一直線に一キロほどの下り坂が続いている。

歩道もない。背後から大型トラックが百キロを超えるようなスピードで突っ込んでくる。

一メートルもないすぐ脇を、百キロ前後のスピードで、車がトラックが、次々と走り抜けていく。

後ろから迫りくる恐怖から逃げようと、反対側の上り車線に移ろうと思うのだが、渡れない。急な坂道であるため、上り車線には追い越し車線があり、両側三車線を両方向で百キロ前後のスピードで走る車が行き交っているので、なかなか渡れないのだ。

高速道路を横断すると思ってほしい。極めて危険だ。

高速道路であれば、まだ路側帯が広く取ってある。しかし、この場所には歩道どころか路側帯などない。わずか五十センチほどのところを人が歩くようになっている。

旧中山道の山道は見事なまでに整備されている。案内も見事だ。にもかかわらず、この区間はとても不自然だ。ここだけ安全面が無視されている。

国道だから国土交通省の管轄なのだろうか。でも、それが歩道のないことのいいわけにはならない。これも典型的なお役所仕事だ。

国道百四十二号線を作った役人はここを歩いてみて欲しい。恐怖を背中に感じてほしい。いつ事故が起きてもおかしくない。

事故が起きたときにはその当事者だけが責任を取ることになる。しかし、その原因を作っているのはお役所仕事で済ませている役人にもある。例え転属して配置が変わっていたとしても、当時の担当者の責任を追求するようにしないと、事故はいつまでも減ることはない。

一キロほどの下り坂を反対車線に渡り、上り車線を走ってくるドライバーの顔を一台一台覗き込みながら、見てるよね、気づいているよね、と念じながら坂道を下った。

一キロ以上にも及ぶ恐怖の下り坂も、いつかは終わる。

国道に戻るとここから先は歩道があり、時々旧中山道にそれ、時々国道を歩き、町屋敷というところから住宅街へと入る。

すると諏訪大社の大祭で使用する、切り出した御柱を落とす木落し坂がある。

ニュースなどでその様子を見ているときには、大きな山の斜面を使って落としているのだと思っていたが、落とし口は案外狭いものだった。ただ、実際に下を覗き込んで見たわけではないので、乗って落ちていく時の実感がどのようなものなのか、気になる。

木落坂の斜面の脇から発電所の送水管に沿って、急坂が続く。

坂が終わったところで、国道に出る。あとは歩道をひたすら歩く。

下諏訪の市内に入る直前に、諏訪大社下社の社を上から見ることが出来る。

境内を見下ろす形で歩道が続く。

曲がり角から諏訪大社へ降りる道があるので、中山道から一旦外れる。

木落坂から落とされたであろう柱が二本立っている。案外細い。

上社も見に行ったことがある。やはりニュースで見たときのような太さはなかった。

諏訪大社は、その大きな存在感と比べると、上社も下社も案外こじんまりとしている。しかし、その神々しさはよくある神社とは次元を異にする。

何がどう違うのか、よくわからないが、存在感のある人と普通の人の違いのようなものだろうか。神社にも人格と同様、品格のようなものがあるのかもしれない。

夕暮れ直前であったせいか、人もいなくて、静かな空間を味わえた。

諏訪大社を出ると、再び中山道へ戻る。今日は甲州方面への分かれ道まで歩いて終わりだ。

途中温泉があり、入りたい気もしたが、着替えるのも面倒なので、そのまま駅へ向かう。

三日間の歩き旅。碓氷峠と和田峠の二つの難所を無事に越えることができた。

続きは、梅雨明けに歩こうと思っている。