副業と複業はちがうもの。パラレルキャリアとはなに?
目次
複業とはなにか
副業と複業の違いとは
副業とセットで使われるのが本業。
本業という本来の仕事のかたわら行うものを副業と呼びます。
江戸時代の武士は、副業で傘張りなどを行っていました。
武士本来の仕事だけでは食べていけない下級武士が、内職で密やかに行っていたのが副業です。そのような背景があるためか、日本では長く副業ということばに良いイメージがありませんでした。
ところが、P・F・ドラッカーが、パラレルキャリアの重要性を主張したことから、世の中の見方が少しずつ変化します。
自ら実践したP・F・ドラッカー
ドラッカーの著書の広まりとともに、日本のビジネスマンの間でも、パラレルキャリアということばが次第に認知されるようになってきました。
ドラッカー自身、新聞記者からキャリアをスタートし、大学教授となり、コンサルタントのようなこともしていました。
日本の古美術品の収集家としても有名で、日本の千葉市美術館には、寄贈されたコレクションが残されているほどです。
ドラッカーは、自身の経験から、一つの職業にこだわらず、幅広く様々なキャリアを繰り返し重ねていくことが重要であると考えていました。
長寿社会の到来とともに、長く働く時代がやってくる。時代の変化とともに、職業も新しいものが生まれ、古いものは廃れていく。
一つの仕事だけを続けて一生を終える時代は、もうすぐ終わる。そのような長寿社会の到来を見越して、複数のキャリアを積み重ねていく重要性を説きました。このようなキャリアのあり方を、ドラッカーはパラレルキャリアと呼びました。
つまり副業と複業(パラレルキャリア)は、ことばのイントネーションは同じでも、全く違うものなのです。
ダブルワークではない
副業にはどことなく後ろめたさがあります。
武士の勤めは主君に仕えること。一所懸命に自身を犠牲にし、主君のため、藩のために命をかけて仕えることこそが、武士の本望。
ところが、副業で傘張りなどとは、武士らしくもない行い。同僚に知られては、笑われてしまいます。ひたすら隠して、わからないようにひっそりと家の奥の方で傘張りをしたことでしょう。
今で言えば、日中は大きな会社で数億の取引をしている人が、退社後に夜勤のアルバイトで数千円ずつのお小遣い稼ぎをしているようなイメージでしょうか。
副業の場合、目的はおかね、という場合が多いかと思います。
しかし、複業は違います。パラレルキャリアの目的はもう一つのキャリアを作ることです。
時間を売らないで経験を得る
ドラッカーは新聞記者の経験を通じて、取材、インタビュー、ライティングなどのスキルを身に着けたことでしょう。
そしてそれは大学教授になってからも役に立ったはずです。数々の著書を記すことが出来たのも、新聞記者としてのスキルが役に立ったからでしょう。
また、ドラッカーは「経営学の神様」と言われるようになりましたが、ここには新聞記者としての取材経験、そしてロンドン時代の金融業界での経験が生かされています。
まだ学問として成立していなかった「マネジメント」に着目できたのも、新聞記者や金融業界という、異業種の経験を経て教員になったからとも言えます。
複業を考える上で大事なことは、こづかい稼ぎを目的に考えない、ということです。経験を得ることを目的にするということです。当然収入が生まれることもあるでしょう。しかし、それは副産物です。重要なのはキャリアです。
副業ではなく複業=パラレルキャリアを意識するということです。
なぜ複業が注目されるのか
人生百年時代の選択肢
ドラッカーは百歳まであと少し、というところまで生きました。
ナチス・ドイツ全盛の時代のウィーンに育ち、ドイツから迫害を逃れて英国、そして、アメリカに移住するという経験をしています。
アメリカのメーカーが巨大化し、そして衰退するさまを見届けました。
そして、アメリカの産業が衰退する中、勃興する日本企業の繁栄を観察しました。
ドラッカーが新聞記者を始めた頃、テレビ局はありませんでした。そして、大学教授を始めた頃には、インターネットどころかパソコンもありませんでした。
百年を生きるということは、その都度、その時代に現れる新しい現象に対応していかなければならないということです。
一つのスキルで一生安泰の仕事など、過去の百年でさえなかったのです。これからの百年はもっと速い速度で社会が変化していくことでしょう。
だから個人は、パラレルキャリアによって、次に現れる変化に、それぞれが備えなければならないのです。
AIが仕事を奪う、などと右往左往してはいられないのです。
複数の収入源の確保はリスクの分散
複業のおかげで、収入源が複数に分かれると、一つの雇用主にこだわる必要がなくなります。
収入が増えるという側面もあるでしょう。でも大事なことは、リスクが分散されるということです。
江戸時代は、脱藩すると生きてはいけない時代でした。主君を持てない浪人は、固定収入のない惨めな存在でした。
しかし、時代を切り開いた坂本龍馬は、藩をこえて活動します。彼が土佐藩の中で収まる人物であれば、あのような活躍はできなかったはずです。
龍馬を偉人として持ち上げることが好きな日本人ですが、実際に坂本龍馬のような行動とると、非難されるのだから不思議なものです。
金の切れ目が縁の切れ目とはいいますが、複数の収入源を確保することによって、ブラック企業で働くことになっても、すっぱりと縁を切ることが出来ます。
それが出来なければ、赤穂浪士のように、主君とともに腹を切るしかありません。
終身雇用制度の崩壊
時代の変わり目に立っていても、その変化の兆しに多くの人が気づいていても、同調圧力は強く働きます。
大きな会社にいたほうが良いのではないか。終身雇用の会社に入社したほうが良いのではないか。
実際、会社というものはなかなか潰れないものです。
斜陽産業と言われた映画産業は、未だにエンターテイメントを提供してくれていますし、鉄鋼業も一次産業なんてもう終わりだと、三十年前から言われていますが、いまだに合併しながら生きながらえています。
しかし、その中ではたらく人たちは、時代の流れに合わせて、変化し続けているはずです。転職はしていなくても、仕事の方法や、それを支えるテクノロジーは、別の産業といえるほど変わっているはずです。
日本はジョブローテンションで社内転職を繰り返す、ということを行ってきました。同じ会社の中ですが、意図的に仕事を変えていく工夫は行ってきたのです。
外資系の会社の場合、担当職種が変わることはほとんどありません。パーツのように、ある職種で採用されれば、ずっとその仕事を続けます。
違う仕事がしたければ、転職するしかありません。
日本企業の場合、会社側がさまざまなパラレルキャリアを準備してくれていた、とも言えます。
しかし、そのような工夫でさえ、追いつけないほどの大変革が今まさに起きています。
自身の能力の可能性を探る
日本企業がどんなに変化しようとしても、その同質性の範囲に留まります。グローバリゼーションの波は世界中に押し寄せ、世界中を巻き込んで行きます。日本企業だけが変わらずに、ガラパゴスのように変わらずにいるということは難しいでしょう。
そのようなときには、やはり、坂本龍馬のように、脱藩してでもその場から飛び出す勇気が必要なのです。
その最初の一歩が複業です。
いままでのように、会社の言いなりのパラレルキャリアではなく、人生百年時代を見据えたキャリアアップを、パラレルキャリアの中から自分自身で見出していかなければならないのです。
プロボノ・ボランティアで広がる世界
パラレルキャリアは、経験を積むことが目的です。従って、ボランティアも立派なキャリアとなります。
身近なところでは、PTAの活動。仕事をしていると、なかなかそこまで手が回らない、ということはわかります。日本の社会は、残業が前提となっています。
しかし、時間の調整さえできれば、PTA活動に積極的に参加することによって、さまざまな経験を積むことが出来ます。
週末のサッカークラブの運営の手伝いも、立派なパラレルキャリアの一つです。
お金を目的にしないことで、様々な分野の才能豊かな人物に出会うことが出来るかもしれません。
複業のメリット
収入の増加
多くの人はもう少し収入を増やしたいと思って、副業・複業を考えるのでしょう。ここは難しいところですが、収入が増える場合もある、と考えたほうが良いでしょう。そのほうが結果的に、収入が増えることになると思います。
ポイントはロングテイルで考えることです。
すぐに収入になることを考えて行動すべきではないと思います。長い目でキャリアを積む事のほうが、目の前の数千円よりもよほど重要です。
今後の自分のキャリアにプラスになるのか。それとも単に時間の切り売りで終わってしまうのか。そこを判断の基準にしたほうが、収入の増加にもつながるように思います。
将来に渡る収入のためにキャリアを積む、という考え方をとるのが良いのではないかと思います。
人間関係の広がり
お金目的ではなく、キャリアを積むことを目的に考えると、同じ職場の人からは得られない知見を得ることが出来るようになります。
そこには学校の先生がいるかも知れませんし、芸術家がいるかも知れません。大学生がいれば、最近のトレンドを知ることが出来るかもしれません。
お金を目的にしてしまうと、どうしても自分の得意分野周辺のことだけになってしまいます。それでも、キャリアとして積み重なるのであればよいとは思いますが、パラレルキャリアを意識するのであれば、普段の仕事からは、少し離れたところで広げていくことが良いのではないかと思います。
能力アップ
現在の職業の範囲で業務をすることによって、その作業の経験値を増やすことが出来ます。
経験が浅い時には、集中して経験することも大切です。ただ、パラレルキャリアを意識する段階では、時代の変化に合わせるための、新しいテクノロジーや職種やスキームになれることを意識するのが良いと思います。
アンテナを張り、新しいことに挑戦し続ける。トライアンドエラーの中から、自分にとって大事な次の一歩が見えてくるのだと思います。
たいていの場合、新しいことを始めるときには、失敗するものです。
成功と失敗を繰り返し、成長するものだと思えば、新しい分野に踏み出すことだけですでに、能力向上のプロセスに一歩踏み出していると言えます。
企業の魅力が向上する
このような変化の激しい時代に、坂本龍馬のような人が、終身雇用を望むでしょうか。新しい時代を切り開いていく人は、常に新しい環境を追い求めて動いていくものです。
そんな先見性を持った人財を確保したい企業は、複業を大いに推奨することでしょう。
それは、新しい世界に挑む気概を持った人達を集めることにもつながります。
そのことが、結果的にその企業の新しいビジネスの芽を芽吹かせ、育てることにつながっていくかもしれません。
新しいことをしてみたいと思う人、すべてが独立を求めているわけではありません。自由な環境が確保できれば、独立しなくても、そこで根をはやして、自分のやってみたいことを実現していこうと考えるかもしれません。
複業を認める職場環境は結果的に、優れた人財を引き寄せ、企業の成長へとつながっていくのだと思います。
複業のデメリット
周囲の理解がまだない
頭ではわかっていても、目の前に現れると、否定したくなる。
そんな傾向がどのような人にもあるようです。
坂本龍馬がどんなに魅力的でも、自分の職場に現れて、彼が同僚になるとなれば、嫌な気分になるのかもしれません。
副業が武士の内職であった時代から、すでに百年以上たっていますが、人々の意識はこれほどの時間がたっていても変わらないようです。
日本社会に薄く空気のように広がる、みんなで仲良く滅私奉公しよう、残業は当たり前、という同調圧力はとてつもなく強力な力で、日本中の職場を支配しています。
ここをどう乗り切るか。難しい問題です。
働きすぎにつながる
フルタイムの仕事をしながら、残りの時間で別のキャリアを積み重ねようとすれば、どうしても時間に無理が生じます。
仕事だけしていればいいわけでもありません。
家族がいれば、家族との時間も大切です。子供がいれば、おむつを替えることも、お風呂に入れることも、大切な役割です。
しかし、役割が増えることによって、時間の使い方がうまくなります。
ダラダラと残業をしていることが苦痛になります。
残業をしていれば評価される企業が一般的なので、ある程度残業を人並みにした上で、さらに自分のやりたい仕事を追求しようとすれば、どうしても働きすぎにつながります。
ここをどうコントロールするか。
パラレルキャリアを進めていく上では、大きな課題となります。
二十年以上パラレルキャリアを実践してきた私が学んだこと
二十代の終わり頃から、二十年以上に渡り、私自身、パラレルキャリアを実践してきました。
きっかけはドラッカーに触発されたからですが、実際にやってみれば楽しいことが次から次へと起こります。
一つの会社でじっとしていたならば、おそらく多様な経験はできなかったと思います。
まだ終身雇用が当たり前であった時代だったので、周囲の理解は得られませんでしたが、ドラッカーが活躍するアメリカではすでに、一般的なことでした。
二十年遅れで日本もようやくその段階に入ってきたのだと思います。
次に、私の経験がどのようなものであったのか、ご紹介したいと思います。
↓続きをご覧ください。
複業・パラレルキャリアを二十年続けてわかったこと
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