中山道一人歩き 6日目 小田井宿、岩村田宿、塩名田宿、八幡宿、望月宿、芦田宿、長久保宿 

御代田駅

前日、御代田の駅の脇にあるトンネルを潜り駅の改札まで歩いた同じ道を、トンネルのところまで戻る。

追分から延々と続く長い下り坂は、しなの鉄道の線路を越えて、さらに南の方へ伸びている。

朝の通学時間帯のため、時折、高校生が坂道を気持ちよさそうに自転車で下っていく。

帰り道は大変だろうなと思っていると、今度は逆に坂道を押して上る学生がいる。御代田の駅まで自転車で向かうのだろうか。

小田井宿

小田井宿に近づくにつれて、徐々に勾配は緩やかになっていく。

小田井宿はいくつかの建築物が往時を偲ばせるが、朝一番であったせいもあり、ふんふんとリズムよく通り抜ける。

それぞれの建物についての説明が書かれた案内板が、各住戸の前に掲示してあるのだが、その手前に幅一メートルほどの水路が流れており、水路の手前からでは遠くて読めない。

一体誰のために立てたのだろう。

一つ一つの案内板が、なぜかすべからく、水路の向こうに立っている。これは水路をまたいで見に行けということなのか。そう簡単にまたげるような水路ではないし、水の流れも早い。

これがいわゆるお役所仕事というものだ。これを立てた役所の人は、現地の確認を行っていないだろう。

発注先の業者が現地の施工済みの写真を撮って、報告書に添付して終わりとしたに違いない。

使う人の立場で行政サービスを行わなければ、ただの税金の無駄遣いになってしまう。

隣家の植木の影に隠れて読めないものもあった。

現地を見れば、見えないことがわかるのにそのまま施工する業者も悪いし、それをあとから確認して、再工事をさせない役所の担当者も悪い。担当者のくせに、現地の確認を行っていないに違いない。

日本橋から小田井宿までの間で、ここまでひどく読む人のことを無視した案内板はなかった。それも一つや二つではない。多くが読めない場所にある。

案内板をくまなく立てるという事自体は素晴らしい企画なのに、その目的を理解しないまま、役所からの発注を形だけ行う。

長野県は山中にある県であるため、昔から土木業者が力を持っている。長野県は昔から教育県という面もあるため、中山道沿いに隈なく設置された案内板に、さすがと感銘を受けていただけに、この手抜き工事には唖然とした。

飯盛り女が数多く居た追分宿を避けて、女性の場合、この小田井宿に泊まることが多かったという。そのため姫の宿とも呼ばれたそうだ。

そのあたりの背景など、どこかに書かれていたのかもしれないが、何しろ水路の向う側にあるので、書いてあることが何も読めない。

なんとも後味の悪い、小田井宿だった。

岩村田宿

上信越自動車道を越えてしばらくすると、やがて岩村田宿へと入る。宿の場所はそのまま商店街となっており、当時の賑わいが今でも残っている。

岩村田宿は、交通の要所であり、下仁田、小諸、甲州などの各方面への分岐道がここ岩村田付近でクロスしている。

中山道は宿の南端から、垂直に向きを変え、のどかな田園地帯へと向かう。

背後に見えていた浅間山も、再び右手にその勇姿を見せてくれるようになる。

やがて住宅もまばらとなれば、今度は左手に八ヶ岳に連なる峰々がその雄大な姿を見せてくれるようになる。

かつて小県(ちいさがた)とよばれたこの地域は周囲を山が囲み、歩くととても気持ちが良い。

都会から軽井沢へ移り住んだ人たちも、やがて佐久へと移り住むことが多いと聞く。

軽井沢と比較しても、日当たり良く温暖で、格段に過ごしやすいからだろう。

塩名田宿

塩名田で千曲川を渡る。橋の袂の川に至る街道筋には、当時の雰囲気を残した宿場町が再現されている。

こじんまりとしているせいか、生活感が溢れている。

宿場跡といっても、すっかり廃れているところもあれば、テーマパークのように作り込んでいるところもあれば、手作り感満載で人の息遣いが聞こえてくるような宿場町もある。

塩名田の場合、手作り感満載だ。これはこれでとても良い。地元の人達の一生懸命さが伝わってくる。

八幡宿

千曲川を渡ると、なだらかな上り道が続く。

八幡宿は塩名田宿からすぐのところにある。

千曲川の増水時には、塩名田宿と八幡宿に留め置かれた、その京方の宿が八幡宿となる。

なぜ八幡宿なのかと言えば、八幡神社があるからと、理由は至ってシンプル。

かといって、仰々しい神社ということでもない。立派な門構えではあるが、至って普通の神社だ。

でも、地元の人々の中心にある神社なのだろう。しっかりと整備されたトイレがあった。

神社が地元に根づいているかは、トイレを見るとわかる。

人の寄り付かない神社には、屋外にトイレがない。

一方、人の集まる神社には、屋外に清潔なトイレが設置されていることが多い。

近所の子供達がその境内に集まって遊ぶということがあるだろうし、お祭りのときには人々が大勢集まるということもあるのだろう。

望月宿

望月宿の手前で国道から道はそれる。その先が瓜生坂だ。

読み方がよくわからなかったが、うりゅうざか、と読むようだ。

江戸方からの上りはそれほど急でもないが、京方へ下りていく道筋は結構な急勾配だ。

下りきったところに鹿曲川が流れており、そこから再び急な坂道を上れば、望月宿のメインストリートとなる。

岩村田宿ほどではないが、望月宿は今でも人々の生活感が息づく宿だ。

歩いていると、道の両脇から生活音が聞こえてくる。ここで人々が生きている事が伝わってくる。

バイク店や病院、食料品店などが営業している。本陣跡には、佐久市立望月歴史民俗資料館もある。

まだ学生の頃、家族でよく望月サニーカントリークラブへ出かけた。バイパスを通るので、旧中山道を通ることはほとんどなかった。それでも、この界隈には何度か訪れた。

当時は街道歩きなど、全く関心がなかったので、ただの素通りしかしていない。

今回は、バスの発車時刻の関係で、先を急ぐ必要があったので、そのまま宿の中を素通りしたが、いつか時間を取って、資料館の中を覗いてみたい。

茂田井間の宿

望月宿を出て、しばらくすると細い住宅の脇を通り抜ける道へと連なる。その先にトイレと駐車場と広い芝生の広がる公園があった。

気温が上がり、暑い。公園のベンチで少し休むことにした。

岩村田宿を出て以来、コンビニが無く、おにぎりやパンのような簡単に食べられるものが購入できない。

望月宿に食堂はいくつかあったが、そこへ入って食事をするほどの時間的余裕もない。

しばらくベンチで横になる。風が体の上を通り抜けていく。

とは言え、あまり長居もできない。長久保宿からバスで上田駅まで移動しなければならない。

バスは午後四時と六時にしかない。四時を逃すと二時間も待たなければならない。

数分の間寝転び、空の雲を眺め、再び起き上がり歩き出す。雨の日だとこのようなわけにはいかない。

間の宿(あいのしゅく)の茂田井宿に入ると、両側に昔ながらの景観が続く。

間の宿の人たちのほうが、宿の保存に積極的なのだろう。

愛知県内の東海道に有松という間の宿がある。ここの家並みがまた見事だ。

見る影もない間の宿も多いが、有松と同様、ここ茂田井も往時の雰囲気が色濃く残り、懐かしさを感じさせてくれる。

芦田宿

そしてそのすぐ先に芦田宿がある。

芦田宿の元本陣近くには、ふるさと交流館芦田宿がある。

ここでトイレをお借りし、併せて中山道についての展示をさっと見る。

スマホが充電できるように、電源タップがテーブルに用意されており、たいへん助かる。

わずかの間。少しばかり充電をする。

笠取峠

いよいよ本日最後の峠越え。笠取峠だ。

峠の上り始めは松並木が続く。既に日は傾き始め、山の谷間の峠道はそこはかとなく寂しげだ。

国道と並行して上り始めは右手、道をまたいで次に左手に松並木は延び、峠の手前で国道に合流する。

何度も通ってきた峠道だが、車で越えるのと歩いて越えるのとでは、受ける印象がまるで違う。

峠にはかつて茶屋があったようだが、今はなにもない。車は長い坂道を越えて下り坂へと入っていく。

歩き道は、峠を越えたところで、昔ながらの山道を歩くことになる。

谷間の木の生い茂る夕方近くの山道は、どことなく早足にさせる。

自分以外誰も歩いていない。

空は未だに青空だが、山の谷間の木々の下では、すでに夕闇の近づく気配がしている。

その気配は、獣なのか、物の怪なのか。下り坂の勢いに任せて、足をすばやく動かす、

ときどき獣の匂いがする。イノシシか、鹿か。熊なのか。

想像力が後ろから迫ってくる。余計に早足になる。

長久保宿

急な階段を下りると、そこは神社の境内だった。

社の裏手に下りたところから、すぐ眼の前には鳥居が見えた。

その先に目を移すと、長久保宿へと続く一本道が延びていた。

ここから先は人の住む町。

かつての旅人たちも、同様の気分を味わい、ホッとしたことだろう。

鳥居をくぐると、大きな青空が広がっていた。

平地に降りて急に視界がひらけた。山間の道は既に薄暗く、夜の気配が少しずつ強まっていたが、人里にはまだ、夜を迎える前の、ゆっくりとした時間が流れていた。

長久保宿の長く延びた下り道をゆっくりと歩く。

中山道は下りきったところから、左に曲がり、和田峠へと向かう。

私はその曲がり角の近くにあるバス停から、上田の駅へと向かう。そしてまた翌朝、長久保宿へと戻る。

軽井沢から和田峠にかけて、子供の頃から車で数十回と通った道だ。

でも、このように時間をかけて歩くことはなかった。

街道歩きとは、時間をゆっくりと味わうことなのだと、改めて思った。

中山道一人歩き 5日目 坂本宿、軽井沢宿、沓掛宿、追分宿(御代田)
東海道と中山道の歩き方