森美術館の塩田千春展で考えた 表現とお金
ブログを書いている多くの人たちは、これをお金にしたいと心のどこかで思っている。ここでは相反する気持ちの葛藤が常に揺れていて、お金になるといいな、でもお金のために書いているわけでも無いし、と。
書きたいことが、うまく整理されて言葉の塊が生み出されてくると、とてもすっきりとした清々しい気持ちになる。
読まれないブログには価値がないと、月商数百万円はあると言うアフィリエイターに煽られると、嫌な気分にもなるが、アフィリエイトとは広告下請業であると考えれば、あながち間違いとも言い切れないので、まるで増えていかないPVや読者数に少し気分はめげてくる。
なので、これを読んでいただいている皆様には、本当に感謝しているし、いつも勇気付けられています。本当にありがとうございます。
なんでこんなことを今更ながらに考えたかというと、森美術館で開催されている、塩田千春展を見に行ったから。
塩田千春展は現代アートの展示会だが、最近街道歩きにはまっていることもあり、ここのところ美術館へ足を運ぶことが無かった。
久方ぶりに美術館へ行って、そこで改めて、アートの持つパワーを感じたというわけです。
ブログを書きはじめるときに、少しは勉強をしようと思い、いくつかのアフィリエイトの本を読みました。
グーグルの上位検索で出てくる記事の内容に、オリジナルな情報を加えて書くと良い。まあそう言われてみればその通り。検索で上位に来るためには、多くの人たちが知りたい情報を網羅的に集めてより詳細に記述すれば良いのは当然。
でも、これってマスを対象にした広告であることを前提にした場合のお話。
私は広告を作るコピーライターになりたいわけではない。私は自分の中のモヤモヤを言葉に変えて整理したい。
お金が欲しいなら、残業すれば一時間に何千円かもらえるし、と言っても管理職の立場になれば、残業代はもらえませんが、でもアフィリエイトという広告下請業をすることが、自分の中のモヤモヤを解消したり、自分の能力を最大限に生かす方法かといえば、たぶんそうではない。
例えば、塩田千春展で見た、一本一本の赤い紐を編み上げて部屋いっぱいに立ち上がる炎のような情景。
塩田さんはこれを、多くの人が望むであろう、グーグル検索の上位でヒットする情景を作ろうとして作ったのかといえば、多分そうではない。空間の中にこのような情景を立ち上げることによって、塩田千春さん自身の中にある爆発しそうな感情や精神を解放したのだと思う。
そして、その背景に森美術館で展示会をしたことによって、良い車が買えるとか、高級住宅街に住める、といった欲望に近づけるという動機があったのか、と考えてみても、そうとは思えない。
もっと多くの人に見てもらえる、もっと材料費をかけてより大きな願望を創出する手段を得られるかもしれない、という動機はあっただろうけれども。
それは芸術家であれば、誰もが持って当然の自身を動かす推進力だ。
創作とは何か、を改めて考える機会となった、塩田千春展でした。