手帳の効用 手書きの味わい

かつては手帳を常に持ち歩き、何でもかんでも手帳に書き留める、ということをしていた。というのは、私はなんでもすぐに忘れるから。

昨日の夕飯を思い出せと言われても、よく考えないと思い出せない。そう思い、さらによく考えてみても思い出せない。なんだっけ。仕方なく、スマホにある健康アプリの記録を確認したら、パスタだった。ということを思い出した、という具合だ。

一昨日なんて、もう10年前の今日の出来事を思い出すことと変わらないほど遠くの出来事だ。

書いたら忘れないのか、というとそんなことはないのだが、手帳があれば、見れば良い。なので手帳やノートは手放せなかった。

ところが、スマホでほとんどのことが代用できるようになって、ここ数年は手帳を持ち歩かなくなった。なんでもスマホに書き連ねるのだ。

スマホの場合には、ありとあらゆるアプリがあるので、体重から食べたものから、歩数から、脈拍の状況まで、自分で記録しなくても、勝手に記録してくれる。本当に便利になったものだ。

しかしながら、気がついた。

何か目標を持って、成し遂げようと思った時には、記録するだけのアプリでは心許ない。なにしろ、何が目標であったかをすぐに忘れてしまう。

紙の手帳だと、何かの拍子にたいそうな目標などが書かれたページが目に入ることがある。ところがアプリだと、意識的に開かないと、永遠に目に触れない。

実は、前回の引っ越しの時に過去の手帳をごっそりと捨ててしまった。

そして今年あたり、子供たちも独立して家が広くなったので、もっと狭い家に引っ越そうかと考えて、さらに最近の手帳まで捨てようかと考えてみた。

20年くらい前の手帳を手に取ってパラパラと見ていくと、自分の筆跡で当時のことが綴られている。

自分の字というのは、スマホ上の文字と違って、とても主観的だ。当時考えていたことを書き連ねた箇所などを読んでいると、当時の感情までもが蘇る。

スマホを見ても、感情までは蘇らない。

スマホに切り替える前は、フランクリンプランナーをずっと使っていたので、久しぶりに手帳版を買ってみた。

持ち歩きはしないのだけれど、目標などを書き込んで、デスクの上に置いてある。

目に入ると開くようにしているので、時々それを眺めてみる。

昔使っていたフランクリンプランナーは辞書くらいの厚さのある分厚いバインダーだったので、毎年毎年大量のファイルが増えて場所をとって困ったけれど、手帳なら厚さはわずかに1センチ。あと20年生きたとしても20センチ程度なので、それほど場所を取るわけでもない。

懸垂を始めたのも、手帳に記録するのが楽しい、ということがあるかもしれない。

手で文字を書くことがほとんどない日常で、自分の時間を手で刻んでいるような感覚がある。

書く、ということだけで楽しいと感じることもある手帳の効用を思い出し、最近の手帳を捨てるのは、やめることにしました。