東海道五十三次18日間ひとり歩き Day16 亀山ー関ー坂下ー土山ー水口 43 k
東海道五十三次 十六日目
亀山ー関ー坂下ー土山ー水口
歩行距離 四十三キロ
一日の歩数 六万八千七百七十四歩
満身創痍の鈴鹿越え
歳をとると、常に体のどこかが痛むと言う。今の私はまさにその通り。満身創痍。マメは十を超えてから、数えるのをやめた。ジョギングシューズになってから、収まっている気はするが、昨日やはり新しいものが、古いマメの隣にできていた。もう水も抜かない。
途中日陰のベンチを見かけると、ザックを枕に昼寝するのだが、今日はふくらはぎを大量の虫に刺された。ブツブツかゆいが、これくらいは平気になってしまったようだ。
亀山を出たのは朝五時半。今日は三十五キロあるので少し早めにホテルを出た。長距離、かつ、峠越えだ。それも腰痛を抱えている。
秋の夜明け、山の端に浮かぶ雲。鈴鹿の峰々は、静かな前奏曲で迎えてくれた。
関宿
関の宿を通過したのはまだ朝の七時。通勤だろうか。車ばかりが出て行く。日中お店の空いている時間に 、もう一度訪れてみたい。
関の宿を通過すると、いよいよ上り坂が勾配を上げる。爪先立ちしながら歩いていたのが、かかとをつける歩き方になっている。腰に痛みが走る。ただ、腰のサポーターがかなり効いている。ザックが揺れて背中の背骨を直接押していたのが、サポーターのお陰で分散されている。かなり楽だ。高い買い物だったが、買って正解だった。
鈴鹿峠でことばが変わる
鈴鹿峠は、ほとんどが舗装路だ。峠のほんの一部だけ未舗装がある。ただ、私がアプリに従って歩こうとしていた道は、なくなっていた。アプリではトンネル脇から上るように表示されていたが、一昨日の台風のせいなのかもしれないが、倒木が酷く、通れる状態ではなかった。仕方ないので亀山側に降りてくる向きのトンネルを逆走して通り、反対側から峠まで登ってみた。
京から江戸に向かうと、少し感じが異なることに気付いた。都落ち。こうした気分を言うのか。そう思った。鈴鹿峠を越えると、この先に果たして京の都のような文化を尊重する風土が存在するのか。少し侘しくなる。
大井川手前の中山峠を越えるころには、京を出てから数日を経て、本当に遠い世界に来てしまったと、山道を通りながら、そう思うのだろう。それが、数々の歌にあらわれている。
江戸から京へ向かう時も同様だ。名古屋までは言葉もそう変わらない。しかし、三重に入ると、少し関西風の発音になる。そして、鈴鹿峠を越えると、もう関西弁や。
人と会話をすることはない。しかし、お店の人との会話で、微妙なイントネーションが、言葉の端々に出るのだ。こちらが東京弁を使うと、相手も自然と東京弁で返す。これは日本放送協会のおかげだろう。一応全員東京弁を話せるような教育は受けている。
今日は国道一号線をほとんど通らず、旧東海道を歩くことが多かった。国道一号線はトラックがすぐ脇を轟音をあげて通り行くので、常に緊張を強いられる。その点、滋賀県の旧東海道は、ほとんど車が通らない。生活道路も旧東海道とは別に走っているようだ。歩道はないが、車も通らないので、怖くない。
明日は草津。そして明後日はいよいよゴールの京都三条大橋。明日は二十一キロ。翌日は二十六キロ。距離も近い。江戸と京都が線でつながる。線を最後までつなぐように、明日も歩く。あと二日だ。
東海道五十三次 十八日間 ひとり歩き: ロングトレイル 600キロ
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