東海道五十三次18日間ひとり歩き Day11 浜松ー舞阪ー新居ー白須賀ー二川ー吉田(豊橋) 42k
東海道五十三次 十一日目
浜松ー舞阪ー新居ー白須賀ー二川ー吉田(豊橋)
歩行距離 四十二キロ
一日の歩数 五万九千五百四十歩
目次
早朝浜松出発
ペースの作り方のコツが分かってきた。今日は四十キロあるので、早めにホテルを出る。朝六時前。すると涼しいうちに距離を稼げる。十一時を過ぎるともう暑い。でもすでに半分以上進んでいる。あとは足と相談しながら、ゆっくりと前に進む。
昨晩、浜松駅上のロフトで、靴の中に貼る、踵用のクッションを買った。効果があるような気がする。少し柔らかくなった。
舞阪から浜名湖
浜松の宿から舞阪の宿まで、すぐに着くつもりでいたが、二時間以上かかる。
そして、そこから先は浜名湖。平日の朝九時に浜名湖を歩いて渡る人は、私くらい。天気は快晴。でもまだ暑くない。湖面を渡る風が心地よい。
新居関
対岸に渡ると、そこが新居(あらい)の関。かつては船で渡ったというが、今は歩いて渡る。この先まだまだ長いので、外から見るだけで素通りする。
新居の関から南に少し下り、右に折れると、その後、延々と一時間半炎天下を歩く。松並木が時々あるのだが、車道にその影を落としても、歩道にその影はない。まるで意味がない。歩く人は私だけで、車しか通らないのでそれで良い、のかもしれないが。
今は海岸線が遠く数百メートル南に下がり、海沿いに東名高速が走っているが、往時は崖の下、旧東海道の街道沿いに波打ち際があったはずだ。
海と旧東海道の間には、今でも野原が広がっている。人もあまり住んでいないようだ。海面から数メートルだけ高くなった旧東海道沿いに家が並ぶだけだ。
潮見坂
自動販売機が一台もなく、渇きに耐え、いい加減うんざりして、蜃気楼でも見そうになってきた頃、右折を示す標識が見えた。潮見坂だ。
京都から来ると、潮見坂で初めて富士山と遠州灘が見渡せたそうだ。武田勝頼との戦いの後の信長を、家康がここに茶亭を建てて、もてなしたという。
おんやど白須賀
潮見坂を上ると、体験施設「おんやど白須賀」がある。潮見坂にまつわる話の展示、東海道中膝栗毛の弥次喜多道中の再現ドラマなどがあり、想像以上に楽しめる。小さな建物だけれども、無料だし、トイレもあるし、休憩も出来る。
「おんやど白須賀」の少し先に、白須賀の宿があった。しかし、もともとは海岸沿いにあったらしい。江戸の時代に津波で流されてしまった後、坂の上に引っ越したそうだ。潮見坂の上には、今でも大きな住宅地が広がっている。
単調な愛知県
潮見坂を上ると、すぐに愛知県に入る。ようやく静岡県が終わった。
愛知県に入ると、道路での表示が最小限になり、パネルを読んで楽しむ、ということができない。旧東海道を歩いていても、静岡県内にあった、旧東海道はこちら、と案内する看板がない。手元に資料が無いと、完全に道を見失う。
ただ、白須賀の宿と二川の宿の間は、夜道に気をつけろと江戸の頃から注意喚起がされているくらい、人のいなかったところだそうなので、本当に何も書けることがなかった、のかもしれない。
二川宿
にもかかわらず、二川の宿は立派な作りだった。トイレも数カ所あり、宿の中には公園もあり、旅人をもてなそう、という気持ちが伝わってきた。ベンチもあった。
しかし、宿を離れるとまた、何もなし。ベンチもない。標識もない。ここは旧東海道なのか。一本道だから間違えようがないだろう、と言われれば、そうかもしれないが、突然小道に入ることもよくある。
例えば、急に潮見坂に曲がるときのように。だれが見てもこちらに曲がると、わかる表示が無い。カーナビ付きの車で来る人しか想定にないのか。そもそも旧東海道歩きは、関東の人の遊びで、名古屋から西は関心ないということなのか。この答えは明日からの楽しみにとっておく。
豊橋
蛇足だが、夕方の豊橋駅では、多数の歩く人を見た。ここには東京と変わらない通勤風景があった。
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