中山道一人歩き 16日目 高宮宿、愛知川宿、武佐宿、守山宿、草津宿
目次
高宮宿
前日の雨が嘘のように、外は晴れていた。まだ日が昇りきらない頃にホテルを出て、高宮宿の入口付近にまで戻った。
高宮宿の真ん中には多賀大社の大鳥居が立つ。
多賀大社は伊勢神宮の天照大神の親神である伊邪那岐(いざなぎ)の大神が祀られている。
大鳥居の前を過ぎてしばらくすると、広重が木曽海道六十九次にも描いた無賃橋を渡る。
その後は田園風景の中をひたすら南下する。今でも代わり映えのしない風景だが、江戸時代にはさらに何もない街道筋であったのだろう。何もない風景は、それ自体が価値を持つ。
愛知川宿(えちがわ)
豊郷には、丸紅や伊藤忠商事を起こした、伊藤忠兵衛さんの屋敷跡がある。私自身、東京青山の伊藤忠ビルの中で働いていたことがあるので、伊藤忠兵衛さんは身近な存在だ。
伊藤忠兵衛さんを生み育てた町に、中山道で滋賀県内、唯三箇所だけある公衆トイレの一つが設置されていることに、どのような関係があるのかはわからない。しかし、中山道の他の地域では全く気づかれない重要なトイレ問題に豊郷だけが、偶然かもしれないが、気づいた。
愛知川を越えると、道は左手の住宅街へ入る。特に取り立てて特徴あるものはない。やがて東海道新幹線の高架下をくぐり、新幹線の左側へと入る。
中山道は摺針峠からずっと新幹線と並走する。少し離れていても、新幹線の空気を切り裂く音は聞こえてくる。右に左に左右を違えながら、中山道と時々交差する。
武佐宿
武佐宿の先には日野川が流れ、ここで土手道を大きく迂回する。そしてその先にあるのが、間の宿の鏡宿だ。
鏡宿は東山道時代の宿場で、武佐宿と守山宿の間の距離があったため、間の宿として栄えたらしい。
源義経はここで元服したという。
道の駅、竜王かがみの里がここにはあり、ここでうどんを食べて一休み。間の宿のほうが地元の人達が一生懸命で賑わっていることが多い。ここもそのうちの一つだ。
彦根方面へ伸びる朝鮮通信使が使ったという朝鮮人街道の追分を過ぎると、あたりは住宅地となる。そして野洲川を越えると守山宿となる。
守山宿
守山宿は京の都を出たあとの最初の宿として、ちょうどよい距離にある。
守山宿は近所の商店街の雰囲気と昔の宿場町の雰囲気とが、ちょうど良い具合に入り混じっている。街角に腰掛けていると、どこかの商店街の片隅のようだし、でも、往時の宿場町の雰囲気も疎らに残っている。
守山宿は、守山駅からは少し離れたところにあり、駅前には少し高い建物が建っているので、見たところ数百メートルほどの場所にあることがわかる。
途中東海道本線の線路をくぐって反対側に回るのだが、そのトンネルがわかりにくい。昨年は迷った道のりだが、今年は何の迷いもなく進むことができる。
そして草津。草津駅前。
そして草津追分。ここは三回目。
宿泊するホテルは昨年と同じホテル。ここから先は全て知っている。ホッとした気持ちとともに十六日目を終えた。
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