別荘とホテルではその楽しみ方が違う
別荘を持っても、繰り返し同じところへ行くだけだからつまらない。そのお金を使って、もっと数多く旅行したい。そうした意見を耳にします。
目次
似ているけれど全く違う
まず、別荘に泊まることと、ホテルや旅館に泊まることでは、その目的が違う、ということを知っていただけたらと思います。
私は旅が好きで、子供の頃から暇を見つけてはいろいろなところへと旅してきました。
数えてはいませんが、欧州、アジアなどを中心に数十カ国、日本国内も沖縄と四国以外のほとんどの県を旅してきました。
別荘を買おうと思ったのは、三人目の子供が生まれたときでした。
五人家族でいろいろと出かけるのは費用がかさみます。でも、週末になればどこかへでかけたい。別荘があれば、何度も楽しめる。そう思ったのです。
でも、別荘を買ってから気が付きました。別荘に泊まることと、ホテルに泊まることとはまるで違うことと。
別荘はもう一つの日常
ホテルに泊まるということは、旅することを意味します。
知らない世界の探究です。
別荘に泊まることは、内省的な行為です。未知の世界を知るというよりは、知っていた世界をより深く掘り下げていく行為です。
別荘のある生活も始めは旅の延長線上にあります。
始めは別荘の周辺を旅します。やがて別荘までの過程を旅します。そして別荘を拠点に更に遠くへと旅をします。
でも、それも行き尽くした頃になると、やがてそのほとんどが見慣れた風景へと変わります。
これは引越し先の自宅の周囲を知ることと似ています。
引越した当初は周囲を探検します。やがて、自宅から様々な地域へと出かける方法を探します。
やがてしばらく経てば、ほとんどの風景や出来事は日常の中へと埋没していきます。
別荘の生活は、どちらかと言えば、旅に出かけたときのホテル、というよりは、住み慣れた自宅に近い存在です。
自宅と違うのは、別荘の場合、日常生活とは違う世界の中にあるということです。
季節の変化を味わう別荘
自宅では、日々の暮らしが途切れることなく続いていきます。ところが、日常生活と切り離された場所にある別荘では、時間が細切れにつながっていくのです。
昔住んでいたことのある町を訪れると、その風景が様変わりしていることに驚くことがあります。
こんなところにビルが建った。ここにあったお店が無くなった。一軒家がマンションに変わっていた。
別荘のある生活は、このような意外性の繰り返しの連続でもあります。
購入した当初は、毎週のように通うことでしょう。でも、やがて、その間隔はあき、季節ごとに訪れるようになります。
日本は四季の移り変わりがはっきりしています。
この季節の変化を定点観測できるのもまた別荘の楽しみと言えます。
春は新緑、夏には川のせせらぎ、秋には紅葉、冬は深々と降り積もる雪。
今年の桜は昨年よりも早い。今年はカメムシが多いから雪が降り積もるぞ。
その地域ならではの情報も知るようになります。
想い出の熟成空間
毎週のように通っていた時期は、まだ旅の延長線上にありますが、やがて、訪れる頻度が減るにつれて、想い出が積り重なり、別荘は想い出の詰まった玉手箱のような空間に熟成していきます。
掃除をしているとき、子どもたちの使っていたスキー靴が、棚の奥から出てきたりします。そんなとき、子どもたちと楽しんだスキーのことを思い出します。その子どもたちも、もうすぐ社会人です。最近は一緒に訪れることも少なくなりました。
行くたびにそのような感傷に浸るというわけではありません。何かの拍子に突然目にしたものがトリガーとなって、記憶がよみがえるのです。日常生活を送っている自宅では、あまりこのようなことは起きないように思います。時々訪れるからこそ、別荘のなかでは、そのような想い出が熟成されて残っていくのだと思います。
別荘生活も旅行も楽しむ
旅は新しい世界を発見することの喜びに満ちています。そして別荘には、訪れたときの記憶や体験が積み重なるという喜びが満ちています。
別荘を買ったからと言って、旅に出かけなくなるわけではありません。別荘に泊まることと、ホテルに泊まることはその目的が違うのです。
別荘を取るか、旅を取るか、と思いつめて選ぶのではなく、別荘のある生活も、旅することも、両方楽しめば良いのだと思います。
別荘の楽しみかた
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