NHKのあさイチで、生ゴミは新聞紙で包んだほうが良い、と聞いて考えた新聞の役割。
先日のNHKの番組「あさイチ」で、「生ゴミはビニール袋ではなく新聞紙でくるむと臭わない」という話を放送していました。
その中で芸人さんが、「うちは新聞をとっていない」と発言をして、一瞬、場がビミョーな空気に包まれました。
なぜビミョーなのか。しばらく考えてみた結果、ここに常識の先を行く現実が見えるからだ、と思い至りました。
目次
右肩下がりの新聞購読率
まず、一つ目。
「うちも新聞とっていない・・」という視聴者を代弁するさざなみのような共感。
と同時に「新聞とってないの!」という驚きを隠さない集団とのギャップ。
私の住むマンションは、月に一度、古新聞の回収が販売所によって行われます。朝日新聞で五世帯。読売新聞で二世帯しか、古新聞が出ていません。五十世帯ほどの小さなマンションですが、ざっと購読率は14%ということになります。
近所の団地の新聞配達の風景を見ても、一つの階段をのぼるときに持って上がるのは、せいぜい一部か二部。それも、四つほどある階段のうち、二つにしか上っていきません。仮に八階建ての建物に階段が4つ、それぞれの階に二戸ずつあると考えれば、一棟で六十四世帯。六十四世帯中四契約とすれば、購読率はおよそ7%ほど。
どこの新聞かはわかりませんが、読売か朝日の販売店が配達の委託を引き受けていると思いますので、他に一社あるとしても、全体の購読率で二割はないことが想像できます。
電車の中を見てみれば、新聞を広げている人は皆無です。混んでいる電車の中で新聞を広げるよりも、スマホでニュースを見たほうが楽。携帯各社に支払うスマホ代のほうが大事だし、ということが大きな理由だとは思います。
引越しなどで一度やめてしまえば、ヤフーニュースでこと足りる、無料だし、ということになって、再契約をしなくなるのでしょう。
NHKのあさイチスタッフは、情報番組の仕事をしていますから、各紙に目を通していると思います。なので、企画会議の中で、家に新聞紙がないかもしれないということを、誰も思いつかなかったのでしょう。
世の中の八割以上の世帯が、新聞をとっていないかもしれない、ということ。それが、公共放送の生放送であらわに見えてしまったこと。それが、あのビミョーな空気感の原因の一つ目かなと思います。
忖度されない親会社の新聞社
二つ目。
テレビに出演している人が、「新聞をとっていない」というなんとなく言いづらいNGワードを、思わず生放送で発言したこと。NHKなので忖度は必要ありませんが、民放ならNGワードでしょう。
民放各社の親会社は新聞社です。全国の地方局も含めて、たいていのテレビ局には新聞社の資本が入っています。取締役には新聞社の幹部が就任しているものです。
芸人さんであれば、キー局のみならず、地方局も含めてテレビ出演ができないと困るはず。「新聞をとっていない」ことは視聴者の共感を得ることはできても、メディア側からするとあまり公に口にしてほしくないこと。
これを生放送でさらりと発言してしまえる存在になっている新聞の軽さが見えてしまったこと。
新聞紙ネタはもう成り立たない
三つ目。
「新聞紙がなければ、紙袋でも代用できますから」と、進行役のアナウンサーのかたはフォローしていましたが、生ゴミの処理が毎日できるほどの紙袋を、家に常備している家庭はないと思います。
つまり、先日のあさイチで取り上げた生ゴミの処理方法は、新聞が家にあることが前提のお話。
つまり新聞がなければ成り立たない、視聴者のほとんどの家庭の役にたたないお話を、延々と三十分以上かけて放送をしていたことになります。公共放送としてどうなんだろう。それを言っちゃおしまいだろうという結論を、番組冒頭で突きつけた、ゲストの無意識かつ企画をひっくり返す本質的な問いかけ。
それでもなくなると困る新聞と出版
そして最後に、ビミョーな空気感のその先に待ち構える問題について。
アフィリエイターが日々格闘されている課題ですが、どのような話題であれ、検索サイトで見つけらなければ、存在していないことに等しい、そんな社会になりつつあります。
マスメディアは、記者クラブを作り、国家権力の庇護のもと、大上段に物申す存在として、ネット社会からは忌み嫌われて来たと思います。
しかし、最近のあまりにも急激な衰退ぶりに、果たしてこのままで良いのだろうかと、心配になってきました。
民主主義が機能する?
Democracy on the web works.
という、グーグルの掲げることばがあります。
直訳すれば、「ウェブ上では民主主義が機能する」となるでしょうか。
多数決は、民主主義の基本です。
しかし一方で、その民主主義が一つの組織に依存することによって、多様性が失われるという問題があります。
民主主義を守るために、大切なのは少数意見を尊重すること。
多数決で決めるにしても、将来につながるかもしれない少数意見、偶然の中から生まれてくる突然変異の芽を潰さない。
その芽を見つけ出して、大きく取り上げることができるのは、今でもジャーナリズムといったことばでくくられる新聞や出版だと思うのです。
民主主義共和国
一党独裁の中の民主主義とはどのようなものか。
わたしたちは飛行機で数時間空を飛べばそれを知ることができます。その国を訪れることにより、一つの思想の中で完結する民主主義とはなにか。わたしたちは体験することができます。そこはすべての行動が監視され記録される社会です。
マイクロソフトがアップルに手を貸したように、グーグルも多様性を確保するために、自らのライバルを育てる必要があるでしょう。ヤフーが独自のサーチエンジンを準備することを、後押しするくらいのことがおそらく必要でしょう。
先日のNHK「あさイチ」の、におわない生ゴミの処理方法の特集を見たあと、ビニール袋に入れていた生ゴミを、新聞紙に包み直しながら、そんな事を考えてしまいました。
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