中山道一人歩き 11日目 中津川宿、大井宿

中津川宿から次の大井宿までは、三里ほどしかないが、大井宿から先は、山の中に入るので、とりあえずその手前の大井宿まで、進んでおくことにした。

岐阜県に入ってからの中山道は、小さなアップダウンはあるものの、総じてのどかな田園風景が続き、穏やかな気候であれば、とても快適な行程になるはずだった。

ところがちょうど台風が日本海を北上している時に歩くことになり、朝方の歩き始めは雨であったのに、途中で快晴となり、突然雨が降り出し、また雲が切れて晴れ間がさすという、めまぐるしい天候となった。

中津川の駅から真っ直ぐに南下して、最初の角に、すや、という名の店がある。酢屋である。当時は酢を売っていたらしいが、時代が変わり、今では、すやという名前で、栗きんとんなどを売っているそうだ。

中津川の宿を出ると、なんの特徴もない道が続く。しかし、その道は今の日本に残る美しい田園風景というもので、海外からの旅行者を惹きつける魅力に満ちている。

時折、住宅の前で遊ぶ親子連れとすれ違うと、みなさん、こんにちは、と声をかけてくれる。東京では決してないことだ。でも、この当たり前の習慣が当たり前のように、岐阜には残っている。馬籠宿があるから人が来るのではない。駅を降りて、そこへ向かう途中から、心触れ合えるひとときが、自然と発生している。その繰り返しが、人々に伝り、その土地の人々の評判を上げ、その土地を再び訪れたいと思う人たちを引き寄せる。

落合宿から中津川宿の行程では、川を越える都度、坂道を上り下りしたが、中津川宿から大井宿までの行程も、同じように上り下りが連続する。

しかし、前日のように、数十キロ歩いた後のアップダウンではなく、十キロほどしか歩かない一日の中での幾度かの上り下りは、さほどのものではない。

岐阜県に入ってから、中山道や地域を紹介する案内板が増えて、歩いていても、とても楽しい。道の至る所に、数々のエピソードがあるということこそが、その街道の歴史を形作っているものであり、その歴史が存在せず、何も書くものが本当に無いとすれば、そこには、人々の記憶が残っていなかったということの証明にもなり、歩いていても味気ない行程になってしまう。

馬籠峠からずっと続いていた舗装路上の桜吹雪のような目印は、中津川宿の先も続いていた。それがどこかの時点で途絶えたのだが、いつの間にやら消えていたといった感じで、消え方も桜の花のように自然に散っていた。

どこまで行っても、道を間違えようの無いように、案内が続き、旅人を静かに見守っている。

最後、再び小高い丘の上に上ったかと思えば、そこから先の眼下には、恵那の街への道が細く真っ直ぐ伸びていた。

手が届きそうな、ローカル線の高架下をくぐり、大井の宿へと入る。

何度か宿の中を折り返し、大通りについたところで、恵那の駅が正面に見えた。

名古屋行きの電車の発車まで、五分。一台待っても良かったが、連休の最終日ということもあり、ダッシュして駅に向かった。

続きは、恵那から。いよいよ連続する峠越えが始まる。