中山道一人歩き 8日目 下諏訪宿、塩尻宿、洗馬宿、本山宿、贄川宿、奈良井宿、藪原宿
目次
下諏訪宿
梅雨のあとしばらく猛暑が続いていたが、九月の中旬ともなれば、少し涼しくなる。
朝の下諏訪駅は、東京と比較すれば、あきらかに涼しい。むしろ早朝は少し肌寒いくらいで、ウィンドブレーカーを羽織ってから歩き始めた。
下諏訪駅の改札口を出て、まっすぐに伸びる駅前の通りを戻り、中山道へと復帰する。つい先日のようではあるが、もう三ヶ月近くも経っている。
夏の始まりにたどり着いた下諏訪の宿にも、既に秋風が穏やかに流れている。セミの音は聞こえてくることはなく、そんなところからも、秋の色を感じる。
下諏訪宿から先の中山道は、しばらく幹線道路を歩いた後に、住宅街へと入っていく。富士見橋で川を渡り、中山道の続きを歩こうとすると、人一人通れるほどの道幅のところに、こちらが中山道と導く道案内が立つ。
東京と埼玉を隔てる荒川を渡ったすぐのところでは、中山道であったところに、住宅が建ち並び、大きく迂回をするような場所もあったが、諏訪の人々は中山道を大切に守っている。家と家の合間に、わずかではあっても、中山道であったことを痕跡として残そうと、空間を設けていた。
そこから細く伸びる道は、やがて住宅街の中に開け、もとの道幅の通りへと姿を戻す。
国道二十号線の南側を走っていた中山道は、東堀の一里塚で、国道の北側に位置を変える。
正面に見える峰のどこかに塩尻峠があるはずだ。山の峰々を少し灰色がかった雲が覆っている。
少しずつ 少しずつ、道は峠に向かって勾配を上げているように感じる。でもそれが負担になるほどのものでもない。少しずつ上っていく坂道は、一歩一歩に緩やかな期待感が伴う。
岡谷のインターチェンジの手前に、今井茶屋本陣跡が残る。塩尻峠へ向かう手前、この場所で一息入れたのだろう。皇女和宮も江戸に向かう途中、ここで休んだという。
岡谷インターチェンジの出口付近にある整備された自動車道の上を跨ぐと、そこから先は勾配を急に上げていく。
一般的な車道は、蛇行しながら徐々に坂を上っていくが、当時の道がそのままなのだろう。道は一直線に峠へと向かっている。
ある程度の高さまでは、平坦な道のりと同じペースで歩いていたが、流石に見上げるような急坂に差し掛かると、その速度を続けることができなくなってきた。
ウィンドブレーカーは既に脱いでバッグの中にしまってはいるが、全身から汗が吹き出してくる。
車一台がやっと通れるほどの道幅を、軽トラックが降りてくる。緩やかに蛇行した道の先で私が上ってくるのを待とうとしてくれてはいたが、私が立ち止まる様子を確認してから、ゆっくりと私のもとへ降りてきた。
私が道の脇の草むらの上に退避して道を譲ると、運転していた農作業服姿のおじいさんは、会釈をしてゆっくりと坂道を下っていった。
道も今ではきれいに舗装されているが、当時は土道であったことだろう。その急坂は車が上るには、セカンドギアでは厳しいほどで、おそらくローギアまで落とさないと、軽自動車などでは上ることも難しいだろう。
そのような坂道を休みながら上っていくと、木立に囲まれた神社が右手に現れ、そこが塩尻峠のようであった。塩尻峠は唐突に現れ、どこが峠かわからないまま、神社の前を横切る尾根道を越えて、すぐに反対側へと下っていた。
峠直下には民家が建ち、峠の京方はなだらかな下り坂となっており、諏訪から上る急峻さとは対象的だった。
しばらくすると、頭上には青空が開け、朝方見えた雲はどこかへと立ち去っており、のどかな田舎道がゆっくりと下っていく。
蛇行して並行する国道二十号線を横目で見ながら下り、最後トンネルのある歩道でその下をくぐり抜けると、そこが国道二十号線との最後の別れとなった。
その先は一直線の下り坂となり、長野自動車道の上を越えると、道はそのまま塩尻宿の中へと下りていく。
塩尻宿
塩尻宿の中を通る一本道は今でも多くの車が行き交う道で、ひっそりとした昔の宿場町のイメージからは程遠い。
頻繁に行き交う車を横目に見ながら、本陣跡などを確認する。
車の行き交う数から、今も昔も変わらず塩尻が交通の要所であることがわかる。
下大門の交差点で、道は松本方面と、塩尻駅方面と、中山道へと分岐する。
JR中央線の下をくぐるトンネルを抜けると、その先には右手に工場、左手には畑が広がる、のんびりとした風景へと一変する。
そして再び塩尻駅から発車した木曽路へと向かう中央本線に近づくと、今度は道の両側にぶどう畑が見えてくる。
手を伸ばせばすぐにもげるような位置に、多くのぶどうがなっている。
ぶどう園が併設されていて、そこへ立ち寄れば、その美味しそうなぶどうを口に頬張ることができ、もぎたてのぶどうを搾ったぶどうジュースが飲めることはわかっているのだが、先を急ぐ私は、ぶどう畑の中は見ないようにして、ひたすら前を向いて歩き続ける。
洗馬宿
葡萄畑の続く中、国道十九号線に出るとしばらく道なりに歩く。
途中から洗馬駅の方に道が分かれる。この先が洗馬宿だ。
洗馬宿で中山道は善光寺街道と合流する。洗馬宿は、かつて善光寺へ向かう人々の宿として利用されたようだ。
国道は中山道の宿を回避して、駅の南側を走る。宿の中は大型トラックが走ることもなく、のんびりと歩くことができる。
本山宿
洗馬宿と本山宿は近い。一里と離れていない。洗馬宿を出た中山道は、国道に合流したかと思えば、またすぐに分岐して、本山宿へと入っていく。
本山宿はそば切り発祥の地だそうだが、この歩き旅では残念ながらのんびりと食事に時間を取る余裕がない。
観光旅行であれば、各地の名所旧跡を訪ねながら歩くということもできるのだろうが、歩き旅は、どちらかといえば、マラソン大会への参加に近い。
自分で決めた目標地点まで、その日のうちに計画通りに到着しなければならない。時速五キロ前後の速度を保ちながら、時々休憩を入れて、目標地点を目指す。
本山宿を抜けると、しばらくは国道を歩く。大型トラックが、時折轟音をあげて脇をかすめていくが、歩道が確保されているので、それほど怖くはない。それでも、後ろから爆音が聞こえてくると、少し首をすくめて風圧をやり過ごす。
やがて深い谷間を通り抜けるような幽玄な雰囲気があたりに漂い始めると、そこが信濃国と美濃国の国境だった。
是より南木曽路、という案内が立ち、どことなく鬱蒼とした森が奈良井川の両岸に続く。
木曽路はすべて山の中、と言う通り、田畑の広がる平野部がごっそりと切り落とされ、川の両岸に急峻な谷間がそそり立つ。
贄川宿
川沿いの国道を歩きながら、時々中山道は国道から少し上った、国道を見下ろすような、集落の中へと入っていく。
木曽路に入ると、途端に中山道の案内が丁寧なものとなり、山里の古民家の脇を抜ける道の曲がり角の一つ一つに、中山道を示す矢印が立ち、行く先を示してくれる。
贄川の駅の手前で、一度駅を遠景から一望できる高さにまで坂道を上るが、そこから眺める風景は、国道ばかりを歩くつまらなさを帳消しにしてくれる。
坂を上る時には汗が吹き出てくるが、一度高みに上って下を見下ろすことを覚えてしまえば、この後も、幾度となく訪れるアップダウンが、次の喜びを期待させる、前奏曲となるから不思議だ。
贄川駅の先で橋を渡り贄川宿の方へ入るところに、番所跡が残されている。
信濃国の松本藩を次の本山宿に控え、ここ贄川宿で、入り鉄砲と出女を、厳しくチェックしたらしい。
贄川宿では、途中トチノキの看板のところから、国道側に道を変えなければならないのだが、うっかりしてそのまま道を直進してしまった。
それでも、その先でいずれは合流するので、困ることはないのだが、何か見逃したものがないか、とても心配になる。
そのようなことを考えながら、歩いていると、やがて自然と道は国道に合流する。
下諏訪の宿から歩き始めると、塩尻峠を越えて贄川まで歩くのが、一日の距離としてはちょうど良いのではないかと思うが、この日は奈良井の宿まではたどり着きたいと考えていた。
木曽平沢
贄川から奈良井までは二里ほどあるが、途中漆器で有名な木曽平沢を通る。
道の両脇には立派な建物が並び、今でも経済的に豊かであることが街道の門構えから伝わってくる。
店の中を覗くと、漆塗りの黒光りする数々の高級そうな器が並んでいる。
街道歩きでもなければ、いくつかの店を覗いて、記念に一つくらい買って帰るところだが、極端に荷物を減らしている関係上、器一つでも荷物を増やすことはしたくない。
また改めて来ようと、目に焼き付け、奈良井の宿へと続く、街道の先を急いだ。
奈良井宿
木曽平沢を抜けると、奈良井の宿はすぐその先にあった。宿の入り口のところに奈良井駅があり、そこから昔の宿場町の面影を残す街並みが続いている。
奈良井宿は木曽路の難所である鳥居峠の江戸方の宿だ。
この日は奈良井までにしようと考えていたのだが、まだ三時前だったので、このまま一気に峠を越えてみようと考えた。宿を決めずに歩く良さは、このあたりの柔軟性にある。その日になってみなければ、天候や体調がどう変わるかはわからない。
宿が終わると、すぐに山道へと変わる。奈良井宿にあれほどいた人が、ここには誰一人として流れてこない。大抵の人たちは、車で来て車で帰る。次の宿まで歩いてみようと考える人は実に少ない。
時間が遅かったということもあるだろう。三時を過ぎて山道を歩くことはあまり勧められない。山の中は平地と違い、日が落ちるのが早く、木が生い茂る森の中は、すぐに暗くなる。
塩尻峠が全て舗装されていたので、無意識のうちに舗装路なのだろうと勝手な想像を膨らましていたが、よくある山道だった。
鳥居峠
登り始めの案内には、鳥居峠まで二キロ少々と書いてあり、これは大したことがないと思っていたのだが、この距離の表示がなかなか縮まない。
日が暮れ始め、自分以外には誰一人として通ることのない、峠の山道を一人で歩くことは寂しいことだ。
時々、クマよけも兼ねて、手を叩いて自分自身に景気付けをしたりもしてみるのだが、何度も手を叩き続けると、手のひらが痛くなるので、数回叩いてみたあとは、ひたすら地面を見ながら、一歩一歩黙って歩を進めた。
途中、一人だけしっかりとした装備を身にまとった女性とすれ違ったが、突然お互いの姿が見えたこともあり、お互い日本人同士であったかと思うが、ハローと英語で挨拶を交わし、会釈した。
鳥居峠の峠部分は車が通れるほどの林道となっており歩きやすいのだが、中山道はすぐに再び山道へと戻る。
すでに一日で四十数キロ歩いていたこともあり、下り坂で膝、腰、足の先などが痛みを感じる。特に膝にかかる負担は腰痛の原因になる。無理をしないように、痛みが起きないように、力を膝から逃がしてやりながら、下っていく。
藪原宿
木々の切れ間から、遠くに藪原の宿が見えるところまでやってきた。まだまだ手の届かない遠くに見えるが、着実に町の全景が大きくなっていく。
急な坂道を下りJRの線路の北側に出ると、急に町の賑やかな大通りとなる。
ここが本日の終着地点藪原の宿だ。
一日で二つの峠道を含む五十キロ近い道のりを歩いてしまったが、通しで歩く場合には、ここまでの距離を歩くことはないと思う。
ゆったりのんびりと、贄川か奈良沢の宿までにしておくのが無難だろう。しかしながら、この距離を一日で歩いたことの達成感は大きかった。十分に歩き旅を堪能出来た一日となった。
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