中山道一人歩き 15日目 関ヶ原宿、今須宿、柏原宿、醒井宿、番場宿、鳥居本宿、高宮宿
目次
関ヶ原宿
関ヶ原は雨だった。夏の盛りは過ぎているので、湿った感じはしない。傘をさして、駅を出る。
中山道は多くの車が行き交う。雨の日には、水溜りの水しぶきが襲ってくるので、出来るだけ車道から離れて歩きたいが、歩道もないところでは、否応なく水を浴びせられる。
しばらく歩くと、国道から分かれ、昔ながらの街道筋へと入る。こうなればひと安心。
不破関から坂を下ったところに藤古川が流れている。雨のせいか心持ち水量が多い。
壬申の乱ではこの藤古川を挟んで大友皇子と大海人皇子が戦った。
伊勢の鈴鹿関、越前の愛発関と並ぶ、古代律令制下の三関の一つが不破の関となる。
不破関からしばらくすると、源義経の母である常盤御前の墓がある。
京の都から義経を追ってここまできた時に、襲われて亡くなったらしい。
常盤御前の墓は中山道から少し入ったところにあるが、後に義経が京の都へ戻るときに気づきやすいように、道端に常盤地蔵を祀ったという。
常盤地蔵から先少しばかり上り坂が続き、その頂上に今須峠がある。
今では舗装もされているため、歩いて上る分には、どうということはない坂道だが、往時は現在とは異なり、傾斜がきつかったのかもしれない。
今須宿
今須峠を下りてすぐのところにあるのが、今須宿。美濃国最後の宿である。
岐阜県に入ってからの中山道は、実に充実していた。名所旧跡には、案内板が立ち、その土地の出来事を理解しながら歩を進めることができた。
どちらのルートも、日本人には全くすれ違うことがなかった。このルートの美しさ、楽しさ、その豊かさに気づいていないからだろう。
滋賀県内の中山道は、特に大切にされることもなく、そのまま放置されている。
柏原宿
近江国に入って最初の宿が柏原宿だ。中山道と東山道の追分の宿として栄えたらしい。
柏原宿の代官を代々治めていたのが箕浦家だ。町中に立つ案内によると、箕浦家は室町時代を中心に四百年もの長きにわたって、この地を治めていたという。
醒井宿
柏原宿を出てしばらくすると、鶯が原という少しひらけた野原に出る。
醒井宿は名水で有名だ。居醒の清水から流れ出た水は地蔵川となって宿内を流れていく。
その水は透き通っており、ハリヨという魚が生息しているという。
醒井宿を出ると突然歩道のない国道を歩くことになり、どうしようかと考えていたところに、脇道があったのでそちらに思わず退避した。
番場宿
番場宿には何もない。住宅が並ぶだけだ。中山道から米原方面への分岐地として、往時は栄えたのだろう。
峠というには少し言葉が過ぎる摺針峠を越える。そして道を下り始めると、つい先程までの光景からは一変し、大規模な工場が見えてくる。そして、空気を切り割いて進む新幹線特有のノイズが、木々の向こうから聞こえてきた。
鳥居本宿
道に沿って進んでいくと見覚えのある光景が目に飛び込んできた。
途中のスーパーで、雨宿りを兼ねて、弁当を買って昼食をとり、一休みしたが、雨は一向に弱まる気配がない。
小一時間ほど食事をとりながら休憩をとり、再び豪雨の中、中山道を南へ向かった。
本日の目的地の高宮へ着いた頃、雨は漸く普通の降り方へ落ち着いて来ていた。しかしながら、すでに私の足元は水浸し。しかし、靴はゴアテックスでできているため、浸水などは無い。これで足先まで水浸しであれば、嫌な気分になるところだが、幸いその不快さだけは、免れることができた。
ホテルに到着した頃、漸く雨も止んだ。明日の天気は晴れなので、きっと快適な一日になるだろう。今日はぐっすり眠れるに違いない。終わってみれば、土砂降りの雨の日も悪くない。そう自分自身に言い聞かせた。
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