世紀末パリ 最初の晩餐
最初の晩餐
一人で旅をしていると、食事のことに気を使う。アジアだと、一人で食べることに抵抗はないが、ヨーロッパのレストランは、一人で踏み越えるのに勢いがいる。
今回、ほとんどの食事を、まともなレストランでとることが無かった。我が身を振り返れば、日本でも、そうそうレストランで食べているわけでもない。財布の中身は、せいぜい福沢諭吉が二人いるかどうか。大きな財布が、その存在意義を取り戻すのは、牛丼のおつりが千円札九枚だった時、くらいのものだ。
いつも、吉野家で食べている人が、旅行中だからと言って、突然、レストランに毎食通うのも、考えてみれば変な話だ。
パリの場合、都会だから、といったことも、入りにくさの一因になっている気がする。
田舎町では、店が少ない、という事もあるが、ホテルの一階で、レストランをしていたりするところが多い。部屋から降りて、そのまま、一人でテーブルにつけば、日中、フロント係りをしていたおばさんが、笑顔でオーダーをとってくれたりする。コートなしで、気軽にダイニングへ入っていく感じで、食事ができる。
値段が高い、というのも問題だ。スープ、サラダ、メイン、ビール、ワイン、コーヒーをオーダーすれば、どうやっても二百フランは出て行く。人によって、金銭感覚は違うものなので、懐具合を告白するようでお恥ずかしいが、私にとって、毎夕食五千円、というのは痛い。
北駅、東駅周辺には、土地柄、エスニック料理のお店がいくつかある。しかし、東京のトムヤムクンや、インドカレーが「吉牛」(吉野家牛丼)の五倍はするのと同様、パリでも、それらの料理は、吉牛の五倍はするし、しかも、食べた事は無いが、たぶん、マズイ。
そんなわけで、パリに行くと、いつも食事の事を考えながら、街を歩いているような気がする。そして数少ない貧弱な選択肢の中を、さまよう。
以前、ルーブルのそばにある、観光客目当ての、ブラッセリーに入ったことがある。そのブラッセリーは、どちらかと言うと、食事「も」できる、というところなので、メニューが少なく、単語の良くわからなかった私は、つい目に入った、ラザーニャを頼んだ。
ヨーロッパのレストランで食事をすると、日本の倍近い量が、盛られて出てくることが多い。ところが、その店で出されたラザーニャは、南青山のイタリアンで出される半分くらいの量で、しかも、値段は吉牛の五倍した。
その日、パリから帰国する予定だった私は、最後の食事を痛恨の思いで、胃袋に収め、パリのブラッセリーで、イタリアンを食べるような、愚行は二度としないと、固く決意した。
そんなわけで、今回の、パリ滞在第一回目の夕食は、決定までに、四時間近い時間を要した。
六時頃からオペラ座の周りを歩き始めて、金曜日のグループ連れで賑わう店を、窓越しに覗きこみ、店の外に掲げられた、メニューの値段にため息をつく。セーヌ川を渡り、ボザールの脇を通りぬけ、サンジェルマンデプレのカフェドゥマゴ、カフェフロールを横目に、学生街のサンミッシェルへ行くが、いずれにせよ、メニューは、最低「百五十フラン~」だ。
銀座、青山、原宿を歩いているようなものだから、どこも値段は高い。結局、メトロに乗って北駅に戻ってきたわけだが、ここでもホテルの周りを三周する。
夜九時を回り、他の地域ではとっくにお店を閉めている時間だが、アジア人の経営する、小さな雑貨店は、遅くまで店を開けている。
中の一軒、一番安い店で、ボルビックを買う。中国系の夫婦だ。その向かい、中華料理のテイクアウトのお店があり、覗いてみるとえらく値段が安い。
春巻き二本とチャーハンとチンジャオロースを頼むが、レジに打出された数字は、なんと値札の五倍。「WHY!」、と抗議するが、値札に目を近づけて見ると、「百グラムあたり」、と脇に小さく書いてある。
結局、四時間かけて、私の胃に収まった最初の晩餐は、三十七フランでテイクアウトした中華弁当となった。(1998/11)
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