2003年には社長が住む街第三位だった練馬区大泉学園町で1980年代生まれの人口が増えている。地下鉄大江戸線延伸による地価上昇を期待?
東京都全体の人口が増加しているようですが、よく知る練馬区と港区について、面白いデータを見つけました。
著書「下流社会」で知られる、三浦展さんが、国勢調査をもとにして作成したデータを見てみます。(注1)
大泉学園町で子育て世代が増えている
2005年から2015年にかけての団塊ジュニア世代の人口変動のデータです。1980年代に生まれた25歳から34歳の各地区の人口が、10年後、どのように変動したかを確認したものです。
港区は、芝浦、港南など。練馬区は大泉学園町、東大泉、石神井町などで増えています。
港区の芝浦、港南地区は、高層のマンションが建ち並ぶ地域です。リーマンショックの前後からの10年間で、1980年代生まれの人たちが港区の湾岸地域に引越してきた事がわかります。
江東区の有明、東雲、中央区の勝どき、晴海などでも同じように人口が増えています。港区と江東区の人口増加は湾岸地域のタワマンブームを表した結果と考えることが出来ます。
一方、練馬区の西部の大泉学園町、東大泉、石神井町などでも1980年代生まれの人口が増えています。
大泉学園町は、2003年には、社長の住む街として国内で第3位でしたが、いまではベスト20の圏外です。
データを見てみると、社長の数自体が増えているので、大泉学園町の社長が減ったというよりは、会社社長の数が増えて、その社長たちは、職住接近の都心に住む傾向にあるということのようです。
社長が好んで住んだ地域なので、大泉学園町は以前から住みやすい場所であったことが想像できます。 (注2)
湾岸東雲地域と変わらない増加人数
1980年代生まれの大泉学園町での増加人数は、江東区の東雲などと変わりません。
一つのマンションに多くの人たちが住む湾岸地区と異なり、大泉学園町は、ほぼ全域が一戸建てしか建てられない低層住宅の地域です。
このことから、大泉学園町の広い地域で一戸建てに住む、1980年代生まれの人口が増えているということがわかります。
しかし、なぜ子育て世代が練馬区に集まっているのでしょう。
そこで、練馬区の人口調査のデータを見てみました。(注3)
約三分の一が隣接の市区町村からの転居ですが、三分の二は、地方からの転居者であることがわかります。
都心から練馬区に集まっているわけではなさそうです。
地方から東京へ人口が流入していると言われていますが、地価の安い練馬区に多くの方が移り住んでいるということのようです。
練馬区は可もなく不可もなく、気張らずに住めるから良いという、街の声があるようです。確かに、取り立てて自慢できるようなところはありません。(注4)
大泉中央公園、光が丘公園、石神井公園などの、広い公園がありますので、子育てするには良いところです。
東映の撮影所が大泉学園にありますが、近くに住むことで何かメリットがあるわけではありません。
大江戸線は現在光が丘が終点ですが、そこから4.5キロほど延伸の予定があります。その終点が大泉学園町。
光が丘から大泉学園町までの道路が現在整備中ですが、すでに半分が終わりました。用地買収がまだ残っていますが、これが終われば、用地買収は完了。その後、道路が開通し、地下のトンネルを掘ることができます。
外環地下トンネルに続けて大江戸線を掘る?
現在、外環自動車道の世田谷と大泉学園の間で、地下トンネルが掘られています。その土砂を運ぶベルトコンベアが、外環自動車道の中央分離帯付近に荒川近くの和光北付近まで作られています。
トンネルを掘ったときの土砂を、ベルトコンベアで交通への影響が少ない地域まで運び、そこからトラックや船で別の場所へ運んで再利用する、という計画のようです。(注5)
外環自動車道と大江戸線は大泉ジャンクション近くで交差します。
外環自動車道の地下トンネルが開通したあとは、この交差地点から、大泉学園町と光が丘に向けて、トンネルを掘り進めていくことになるのでしょうか。
そうすれば、地下トンネルを掘ったときに出る、土砂の運搬用に作った、ベルトコンベアも、そのまま大江戸線のトンネルの掘削に利用できます。
湾岸地域のマンション人気がメディアで大きく取り上げられていましたが、同じ時期、目立たないところで、大泉学園町、東大泉、石神井町などの人口が増えてきました。
オリンピックが終わった頃には、外環道のトンネルが開通。その後、景気対策の一環として、大江戸線延伸工事が始まるのではないでしょうか。
その頃には、在宅勤務制度が今よりも社会に浸透し、週に3日くらいの通勤で良くなるような気がします。
併せて、時差通勤も当たり前になるでしょうから、始発の大泉学園町駅から、ゆったりと座って都内に通えるようになります。
今は都心の便利さばかりに目が向いていますが、広い空の下でゆったりとオフを過ごす、郊外での生活が、再び見直されるような気もします。
注3:練馬区資料
注5:国土交通省資料
2003年には社長が住む街第三位だった練馬区大泉学園町で1980年代生まれの人口が増えている。地下鉄大江戸線延伸による地価上昇を期待?
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