ゲームはお金だけではなく時間までも吸い取っていく
昔、営業マンをしていた頃、ゲームセンターチェーン運営会社の社長に会ったことがある。
そのゲームセンターチェーンはとある県で、利益が県内でも上位に入る優良企業だった。
私も子供の頃は、インベーダーゲームなどを学校帰りにしたこともあった。しかし、あまりうまくないこともあり、百円玉がいくらあっても足りず、財布にどっさりと百円玉を持つ友達の横で、その友達が遊んでいるのを眺めるのが定番だった。
ゲームの機械というものは、そのゲームに関心がなくなると、ただの箱にしか見えなくなる。
ゲームが得意な友人たちは、百円で数分は遊んでいられるほどの実力を持ってはいたが、一時間もすれば、すぐに千円札の数枚は消えてなくなる。
横で見ているだけの私は、ゲームに熱中している友人から、百円玉に崩してきて、と頼まれると、他にすることもないので、お店のレジで両替をしてくるのだった。
百円あればアイスモナカが一つ買えるのに、などと数分おきに百円玉を投入する友人を横目に見ながら、ゲームビジネスはすごいなと思っていた。
そのようなこともあったので、ゲームセンターチェーンの社長と会ったとき、社長自身がゲームビジネスについてどう考えているのかを聞いてみた。
「一つのゲーム機器は数百万円するが、一度購入すれば、人の財布からずっと百円玉を吸い出してくれる」
「私はゲームに何の関心もないので、全く理解出来ないが、よくみなさんあれだけのお金を、機械の中に何度も何度も、朝から晩まで、あきずに入れ続けてくれるものだと、感心して見ていますよ」とのことだった。
子どもたちはもう大学生なので、ゲームに夢中であっても、あえて何も言わない。それでも、徹夜でESCに入り浸り、帰ってこない日が続いたりすると、つい口を挟みたくなる。
特に人生五十年も生きると、時間がとても貴重に思えてくる。
人生は、人生そのものがゲームのようなものだと思っている。なので、ゲームに費やす時間は、劇中劇のようにも見えてしまう。
小説や映画のほうがためになると考えているわけではない。
まずはリアル人生ゲームに集中して、余裕ができてからゲームを楽しみなよ、と言ってはみるのだが、子どもたちには伝わらない。
時間が無限にあると感じているときに、時間の大切さを説いても伝わらないのだろう。
私もそうだったから、それはよく分かる。