二時間の会議が人口減少化社会を生み出している
ご近所同士で暮らしていながら、生きている世界はまるで違う。そんなことはままある。それを手っ取り早く実感できるのが、違う文化の国へ行く海外旅行をすることだが、そもそも違うものを味わうために訪問するから、心も体も予めその備えはできている。
例えば、日本からアジア諸国へ旅すると、道路事情や街並みなど、社会インフラの未整備が目につき、日本を豊かな国と感じることが多いだろう。とはいえ、昨今の中国、シンガポールなどの国々の場合には、逆に日本の老朽化したインフラへの対策の遅れを身につまされることも多く、もはや日本の時代が過ぎ去ったことを身をもって感じることのほうが多いかもしれない。
しかし、同じ国、同じ町、同じ家に住みながらも、職場を変えると、海外旅行と同じ気分が味わえる。
終身雇用でひとつ所で長年働き続ける人は、そのようなことを感じる機会は少ないだろうから、それぞれの村から出たことのない人のように、村の論理が世界中どこでも共通だと錯覚してしまいがちだ。しかし、川一つ隔てた村の掟は、少し違うものであり、山ひとつ向こうに飛び出せば、そこには延々と広がる広大な未開拓地が広がっているのかもしれない。そしてそのような場所には、進取の気風を備えた、自ら未知の領域へと突き進む若者が多く集まっているかもしれず、老人たちが肩寄せあって助け合い暮らしている谷間の村々とは、気風が違ってくることは当然のことと言える。
私が一時身を寄せていた、BMWという街は、効率性を念頭に置かれ考えられていて、町内会議は基本的に三十分。長くても一時間。二時間以上の会議は事前準備ができていないことの表れだから、そもそも開催を認めない、ということになっていた。会議といっても、会議室に集まるのはごくまれで、通常は自分のデスクでスカイプを使って行う。アウトルックで会議時間を指定して、リンクを貼って参加者に送れば、各自それぞれのデスクから、会議に参加できる。そもそも会議参加者は同じビルにいるとは限らず、たいていの場合、時間帯で分かれている地域本部を中心に、関係国の社員が参加して行われる。例えば、アジア地域のヘッドはシンガポールになるが、そこが管轄するアジアパシフィックの関係者は、みな時差三時間内の地域にいるので、時差の問題もなく会議ができるということになる。時給五千円の社員を十人集めて一時間拘束すれば、人件費だけで五万円。二時間で十万円になる。開催者は、その会議は五万円分の価値があるのだねと問われる。
ドイツ本社で決めたことをシンガポールから伝えてくるセミナーであれば、それぞれ自分のデスクで自分の仕事をしながらそれを聞く。従って、そのようなセミナーであれば事前の資料作りが最重要で、資料がしっかりとできていさえすれば、あとは簡単な質疑応答で済むので、そもそもそれほど説明に割く時間がかからないということになる。
そうした社会に身を置いた後では、日本の各地に残る伝統的な企業で、相変わらず二時間近くだらだらと何も決めない会議という名のおしゃべりを続けている企業が多いことに驚き、また唖然とする。それをブレストとカタカナにすることによって価値あるもののように見せている大手広告代理店だが、実はそんなことには意味がない。外資系コンサルティング会社はわかっているので、日本企業のだらだら会議の間隙を縫って、広告業にも果敢に進出している。テレビの広告枠を独占的に買い占めて、儲けていた会社が、付加価値競争のために、一生懸命に頭を使うふりをしていたのが、ブレストという名のまやかしだ。いかに商品を売るかという視点に立った時、テレビの広告だけでは人々を振り向かせることはできないいま、広告業界も効率性が求められるようになるだろう。
結局仕事だけしていればよいなんて考えられるのは、社会に責任を持っていない立場のサラリーマンだけだ。家族がいれば家族のために家の中で働かなければならないし、子供たちが通う学校のために、何かをしなければならない。子供がサッカーチームに参加していれば、その手伝いが必要だし、消防団に参加していれば、街を守るために、休みの日には消防訓練をしなければならない。
自分を雇う会社のためだけに働こうとする人間が、地域社会に居場所がなくなるのは自然の摂理だ。そのようなひとたちは、仕事以外にすることがなく、結局、自己満足の遊びに行くか、自己満足を満たすために仕事をすることになる。当然仕事だけをしていれば会社の中では中心人物となる。そして、気が付けば管理職は独身者だらけということになる。不幸なことに、結婚し子供がいて地域社会に責任を持つ人たちとの関わりが出来ないので、子供のいる人たちがどれほどの関わりを地域でこなしているかが、わからない。つまりそんな管理職は五時に帰る人を理解できない。
大企業であれば年功序列といった、よいのか悪いのかよくわからない秩序があるので、そのような弊害は表には表れにくいが、外資系企業ともなると、独身者がやたらと管理職者に多い傾向が、このような背景からはっきりとしている。これは独身者を非難しているわけではなく、このような社会構造は少子高齢化を進めるだけで社会全体の幸福感を高めることにはつながらないので、改めるべきだということだ。つまり、二時間の会議が少子高齢化社会を招いている。
日本の企業経営者が慈善活動に積極的に参加しているという話を聞いたことがない。これは生まれ育った精神的環境が貧しかったからだろう。高価な時計をしたり、かっこいい車に乗っていたり、有名人を奥さんにしている経営者の話をよく聞くが、あまり心惹かれるものがない。この人素敵だな、と思える、杉良太郎のような企業経営者にいつか会ってみたい。
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