中山道一人歩き 10日目 倉本駅、須原宿、野尻宿、三留野宿、妻籠宿、馬籠宿、落合宿、中津川宿

倉本駅

倉本駅

無人の倉本駅についた後、中山道は集落の小道を辿ることになっているのだが、前日の雨のせいですっかり予定が遅れてしまったこともあり、すぐに国道へ出て歩き始めた。

どこまで中山道を忠実に歩くかということは、その人のこだわりにもよる。出来るだけ古と同じ道を行こうと思っても、実際に往時と同じかどうかは、誰にもわからない。また、道も時代とともに変わる。

川が突然氾濫して通れなくなることもあるし、道が崩れて違うルートが新たに掘削される場合もあるだろう。道は常に変わるし、人々の行動によって、その重要性も変化する。

そうした意味で、時々国道をそれて集落の方へ入っていく道を辿って歩いていくことは楽しいことではあるが、誰も使わなくなった農道の跡のようなところを草つゆに濡れながら歩くことは、あまり楽しいことでもない。

いずれにしても、その人の許容範囲に依存するので、所詮自己満足の世界。誰が褒めてくれるわけでもなく、だれかに認められようとしているわけでもない。好きなように歩けば良い。人生は自分のもので、自分が生きたいように生きれば良いのだと思う。

須原宿

須原宿はひっそりとしている。何かしら目立ったものがあるというわけでもない。ただ、家々の前で湧き水が飲めるようになっており、喉が渇いている時に、これは重宝する。

須原宿

これはもともと旅人への差し入れとしてあったものなのか、または、宿の人々が共用できるために用意されたものであるのかはわからない。

でも、この水汲み場が宿のあちこちにいくつもあることで、旅人は安心していまの宿の中を歩くことができる。無言のうちに、どうぞ飲んでいってください、と励まされているような気持ちになれる。押し付けがましくなくて、とてもよい。

須原宿を出ると、その先で中山道は内陸の方へ大きく曲がり込む。

この辺り木曽川が大きく蛇行していることから、川沿いの道は川の氾濫によって、幾度となく通れなくなったのではないかと思う。実際に、江戸の初期には現在のJR中央本線が走っているあたりを、中山道は通っていたらしい。

水害記念碑

八幡神社の建つ小高い丘を大きく迂回するように中山道は内陸に入っていくのだが、その途中に水害記念碑が建つ。このような内陸部でどのような水害になるのか、想像できないが、山から土石流が流れ込んできたのだろうか。この辺りは扇状地となっており、何度も上流から土砂が流されてできた地形であることが見て取れる。

JR大桑駅のところで、再び国道に合流する。この先にある道の駅大桑で一休み。昼食には少し早かったが、かき揚げそばを食した。おまけでリンゴをふた切れいただいたのが、とても美味しかった。

野尻宿

国道から少しそれて線路脇をしばらく歩く。休日になると鉄道写真愛好家が行列を作って待ち構えそうな撮影スポットだ。一時間に一本しか走らないローカル列車が、たまたまやってきたので、一枚撮ってみた。

スマホでいきなり撮ったので、上手くはない。しっかりと構図を決めて待つ人たちとは当然出来が違う。

しばらく鉄道沿いに歩いた後、坂道を上ったところにあるのが野尻宿だ。

野尻宿

それほど大きな宿ではないが、なだらかに蛇行しながらこじんまりとした宿場町が続く。

野尻のあたりの木曽川は大きなダムでせき止められているようで、中山道はその湖畔沿いを鉄道とともに歩く。

ここでまた、特急列車に遭遇する。遠くで踏切の遮断機の警報が鳴り、列車が近づいていることがわかる。今度はしっかり撮ろうと、スマホを構えて待つ。

すぐ先の遮断機の音が聞こえてきたので、すぐにやってくるだろう。この時点ではローカル列車か特急列車かはわからないのだが、現れたのは特急列車だ。今度はまあまあ上手く撮れた、などと自己満足に浸りながら、再び先を急ぐ。

ダムを過ぎた後も、国道は山中のトンネルを走っているので、中山道とともに、木曽川沿いの道を行く。木曽川沿いといっても、この辺りは木が生い茂り、木曽川が見えるわけではない。当然のように地図で見て木曽川があることを知っているから、そのように言えるのだ。

夕方から夜にかけてここを一人で歩けと言われれば遠慮したい。

たぬき一匹通らないような道をひたすら歩く。そのような寂しい道を歩いているうちに、再び国道に出る。

国道はうるさいしトラックの風圧がきついので、決して歩きたいとは思わないが、あまりにも人っ子一人歩いていない道を一人で歩いたせいか、国道に出られて少しほっとした。誰一人歩いていないところを歩き続けるというのは、嫌なものだ。この道で良いのか、という不安よりも、ここでもしも何かの事件に巻き込まれてしまったらどうしよう、と言った不安なのだと思う。

三留野宿

途中コンビニなどがあれば、何か食べ物を買おうかと思ってはいたが、それらしきものは何もなく、ただただ無人の荒野を一人歩きたどり着いた先が三留野宿。

国道沿いにはコンビニもあったのかもしれないが、少なくとも中山道を歩いている限り、店らしいものは見当たらない。何しろ木曽路もここまでくると、家どころか、本当に森ばかりが続く箇所もあり、それでもアスファルトの上を歩けるだけ有難い、といった気持ちで、ただひたすら歩く。

三留野宿は妻籠宿への登り口のある南木曽駅のある宿。JRの駅員さんとの会話で、みなみきそ駅、と発音していたら、なぎそ駅と暗に訂正してもらった南木曽駅。

南木曽駅前に山積みされた大量の丸太を横目で見ながら、木曽路のクライマックス妻籠宿へ向かう登り口へと差し掛かる。

南木曽駅

大勢の人々が南木曽駅から歩き始めるのかと思いきや、人っ子一人歩いていない。あとで気づいたが、みな車で近くまで移動するのだ。ここでも歩いて峠を越える人は少数派だ。

南木曽駅から落合宿までの行程で特徴的なのは、外国人旅行者の多さ。木曽路を歩いて旅するのは、ほとんどがインテリ系外国人だ。インテリ系とはつまり、白人とインド人だ。フランス人、米国人、インド人、が主流のように感じた。ドイツ語を話す人たちにもすれ違った。宿のメインストリートで食べ歩きをしているのはほとんどが日本人と中国人。

全体の割合としては日本人と中国人が圧倒的に多い。ところが、宿の外で街道を歩いているのは、インテリ系外国人ばかりだった。日本人、中国人は皆無。中国系の人は少しいたかもしれない。もしかすると、台湾や香港などからきたのかもしれない。英語の挨拶が自然だった。

勤め先の外資系企業のCOOに東海道を歩く話をしたら、いいね、と返ってきた。私の国にもロングトレイルができるコースがあると話してくれた。日本の同僚などに同じことを話すと、何で?と返ってくる。何で?と聞く人たちは、おそらく車で妻籠宿や馬籠宿へ向かい、インスタ用の写真を撮って、アイスを食べ歩きするのだ。

それがいけない、ということではない。楽しみ方は様々だ。私もいつか家族を引き連れて、アイスを食べに連れてくることもあるだろう。でも、ロングトレイルで訪れるときと、宿場町をただぶらつくことの間には大きな隔たりがある。そこで得られる体験はまるで違う。

すでにリタイアしたであろう年代の白人の老夫婦に何度もすれ違った。ハロー、こんにちわと交わす言葉が、様々なお国を想像させるイントネーションだった。でも、日本人は皆無だった。見事に外国人ばかりだった。

妻籠宿

南木曽駅から道は山中へと入る。舗装路が続き歩きやすい。

車で巡る人たちがいる。すれ違う時には車一台ほどの道幅しかないので、脇に避けて道を譲る。

妻籠宿

車の通らない道もきれいに整備されている。店構えも整っている。宿に近づくと観光客が徐々に増えてくるが、妻籠宿はそれほどでもない。

ところが、中心地に近づくと、流石に大勢の観光客が集まっていた。おそらく車で上ってきて、駐車場に止めて見学に来るのだろう。妻籠宿から馬籠峠へ向かう道の途中に大きな駐車場があった。

妻籠宿から馬籠峠にかけても、道が整備されており、歩きやすい。山道ではあるけれども、お店も営業している。

自動車道も並行して走っており、熊よけの鈴がそこかしこに設置されてはいるものの、不要なくらい、自動車のエンジン音が山道を歩いていても聞こえてくる。

それでも、山の中を歩くのは気持ちが良い。馬籠宿の方から多くの観光客が歩いてくる。そのほとんどが外国人だ。日本人はほとんど見かけない。東京の港区よりも外国人の割合が多いように感じる。

道中至る所に様々な案内の標識があり、歩いていても飽きない。でもそのほとんどが日本語なのが気になる。外国人が多いのに、なぜ日本語ばかりなのだろう。英語くらいは用意したほうが良いのではないかと思う。

ゆっくりと峠道を上り、馬籠峠に到着する。ここから先は岐阜県だ。

碓氷峠から長野県に入り、梅雨の時期と猛暑の時期を避けて、漸く長野県を横断することができた。

馬籠宿

馬籠峠から先は開けた山道を下りていく。開けたと感じるのは、西側に向かって空が広がっているからで、夕方の太陽が光を指す方向であったからかもしれない。

馬籠宿

馬籠宿に到着した時にはすでに三時半。少しずつ夕暮れに近づく時間帯だった。観光客が多くて、まっすぐに歩くこともできない宿の中を、よろよろと観光客を避けながら前に進む。

馬籠宿の美しさは、馬籠宿が終わったところから始まった。

馬籠宿が終わると、途端に観光客がいなくなる。ほんの五十メートル先に歩を進めるだけで、そこから先は静寂に包まれる。

恵那山

恵那山を遠景に眺めながら、ゆっくりとなだらかな坂道を下りていく。田の穂が刈り取られ、干してある。

岐阜に入ると、明らかに空気が変わる。色彩が明るくなる。

それは長く山岳部の濃い緑色の風景が道際まで迫る信濃路、木曽路から、大きく開けた平野部にやってきたからなのだろうか。馬籠宿から西には田畑が広がっている。馬籠峠以前の木曽路にはなかった光景だ。

馬籠宿から先は実に歩きやすい。なぜなら道に桜吹雪のような文様が散りばめられている。中山道のルート上のアスファルトには中津川の街を出るまでの間、ほぼ全ての区間で桜吹雪のような文様が旅人をガイドしてくれるのだ。

中山道を示す桜吹雪の文様

落合宿

落合宿

岐阜県に入った途端に、雰囲気は一変する。長野県が悪いということではない。岐阜県は、おもてなし、を感じる。

愛知県から静岡県に入ると恐らく同様のことを感じることだろう。静岡県を歩いていると東海道を大切にしていることが伝わる。一方で愛知県には、それがない。

長野県はそれなりに中山道に気を使っている。まるで無関心な埼玉県と比べれば、格段に素晴らしい。しかし、岐阜県はさらにその上を行く。

日頃東京に住んでいると、日本の中心が東京で、東京を中心にセンスのある人たちが住んでいると思いがちだが、大間違いだ。岐阜県のこの感度の高さは相当なレベルだ。

落合宿自体は、それほどでもない。どこにでもある宿とそう変わらない。しかし、その道すがら、各所に立てられた案内板は素晴らしい。どのような小さなエピソードでも、丁寧に旅人に伝えようとしている。読んでいるものにもその姿勢が伝わる。

落合宿本陣跡

これは神奈川県にも共通する。神奈川県内も同様に案内板が充実している。東海道は、神奈川県から静岡県へと引き継がれることで、素晴らしいルートとなっている。ただ、愛知県だけがひどい。これがまた三重県に入ると、素晴らしく改善される。

中山道は埼玉県がひどい。何もない。中山道が消えているところさえある。中山道についての歴史について書かれた案内板がほとんどない。同じ東京都の隣県であるにもかかわらず、埼玉県と神奈川県の違いは大きい。あきらかに文化の成熟度が違う。中山道は埼玉県によって分断されているとさえ言えると思う。

中津川宿

落合宿から先、道はとてもわかりにくいはずだが、道路上にずっと散りばめられた桜吹雪が迷うことなく誘導してくれる。

ガードレールがないところでも、歩行者が歩きやすいようにラインを引いて、明確に誘導してくれている。

落合宿から中津川宿にかけては、アップダウンが激しい。川を越えるたびに坂を上り、丘を越え、再び川に下り、また再び坂を上る。これを幾度となく繰り返した。

すでに馬籠峠の上りを含む四十キロを越えてきた体に、幾度も訪れるアップダウンは厳しい。体力のある時なら大した坂でもない。しかし、一日の終わりに迎えるのには、結構な精神力が必要とされた

落合川、下落合川、三五沢、子野川、地蔵堂川を越えて、漸く中津川の宿にたどり着いた。

駅に着くと、列車が発車する一分前だった。何を考える余裕もなく、列車に飛び乗った。